という島では、兵士の何割が栄養失調で餓死したという報告を、やつれ果てた復員兵から告げられている。一方に、大小の戦争犯罪人としての将官が、リストされている。しかし、兵と共に飢えて死んだという将校が、何人私たちに知られているであろうか。私たちは、沁々とこのことを思い返さざるを得ない。自分たちだけは、様々の軍事上の名目を発明して、数の少い軍用機で、逸早く前線から本土へ逃げて翔びかえってしまった前線の指揮官があることを、これ迄何と度々耳にしていることだろう。軍人社会での階級のきびしさは、公的目的のための制度であったはずである。公的な根拠において、国民負担による高給をうけとり、戦争手当をうけとり自分たちの何一つ不自由のない購買組合によってその妻子までを、戦時下の人民一般の苦境にふれる必要ない生活を営ませて来た以上、彼の一生は、公的に導びかれ解決されるべきであった。人民と、人民が制服を着せられた姿である兵士たちに、滅私奉公をあれほどたたき込んだのが真実なら、己れの命を惜しんで、上官である地位を利用して自分ばかりが逃げ帰ることは、人間としてこの上ない穢辱であること位は知ってよかったろう。
 戦争は常に残酷なものである。けれども、第二次世界大戦において日本の軍事権力と上級軍人の或るものが演じた役割は、生命の破壊よりも遙かに悪逆な、生きながらその人々の人間性を殺戮することを敢てした。飛び立つ飛行機を見送ったときの兵士たちの敏感なこころの中では、音を立てて、何ものかが倒れたのである。権威に対する侮蔑や嘲笑より、もっともっと切実な、人間真実に対する絶望が襲ったのである。
 嘘偽でかためた報道、虚構の現実ばかりを知らされ、今日はそれが虚構であった、ということだけを又手おくれに知らされて経済破局に面している日本の人々が、己れの幻滅につながるものとして、この真実のよりどころを殺戮されて還って来た兵士の精神の苦悩を、どこまで理解しているであろうか。
 復員兵士が犯罪へ転落するには、様々の動機があろう。けれども、新聞に「俺たちに、義理も人情もあるものか」と捨科白《すてぜりふ》した記事がのった、一部の不幸な嘗ての兵士は、遠くない過去において、紛れもなく義理も人情もない扱いをうけて来た自覚をもっていることを意味する。その声は、不幸を一層不幸にする社会性の乏しい憤りにまかせて、同じ苦にある人民仲間に向けられたのであった。
 こういう公私の逆立ちは、軍需生産で儲けた人々の全生活を支配した。食糧問題、それにからむ土地問題、住宅問題、失業問題、道徳の頽廃の諸相。それは、引つづいて日本の社会を混乱させる公私逆立ちの形として現われている。支配者たちは、人民の公器たる政府の実力で、これらの大課題を、どのように公的に処置しつつあるだろうか。私たちの毎日の現実に立って答えるならば、政府は、愕くほど私的になっている。政府そのものの命脈を保つこと、その成員の姑息な差しかえ、G・H・Qとの汲々たる妥協策。今日猶まことに壮健である財閥の七変化的存在への助力。戦時利得税、財産税についての解説一つでも真面目に聴いたらば、人民は、曖昧な日本的薄笑いを口辺に浮べてはいないと思う。貿易局の頭に三井財閥を坐らせている政府。銀行、大企業が、9/10を所有している戦時公債を、財産税でとりあげた人民の金で償還しようとしている政府。そういう政府が、財閥的私的権力でないと云うものは恐らくないであろう。目前の食糧問題という全くの公的課題を、忍耐ふかき日本の人民は、日に日に枯渇して来る各自のいとささやかな財布と、道徳的堕落を伴う要領、才覚によって、やりくっているのである。
 日本が民主的自主的政治の能力を示して、世界に、自立的民族として存続する可能性の十分あることを示すか、或は、蒙昧な反動国として、民主的世界によって飽くまで監視されなければならない立場に置かれるか。次回の総選挙は、そういう意味で極めて重大、深甚な意義を日本の将来の可能性に向ってもっている。今日、人民生活を建て直すために、民主主義はどうしても確立されなければならない。世界的諸関係の中に日本をおき、公の観点から洞察し、心から祖国を愛する者ならば、日本の民主化が如何に重大であるか、千万の言葉にまさる重さを理解しなければならない。
 政党が、公のものであるならば、自党の得票という私的目的のために、日本人民のおくれた層、封建の陰ふかい地べたから一票でも多くかき集めようと、わざと封建の暗さにおもねることがどんなに誤ったことか、売国的な行為であるかを人民は、明白に知らなければならない。嘗て、「愛国者」たちは何をしたか。答えはただ一つである。
 私どもは、彼等が愛する日本の進路を誤らせるために山積した罪悪を決して忘れることはないのである。
 公私逆立った既成政党
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