たのは明治四十年より前のことだった。おゆきの住居や習慣は、樋口一葉が「にごりえ」などでかいた雰囲気の中のものだった。そして、鏑木《かぶらぎ》清方の插画の風情のものだった。そういうことがわかったのは、ゆきのおまはんの由来を理解したよりもあとのことだし、「ねぶか」よりもあとのことであった。
 父方の祖母、母方の祖母が、わたしの幼い時代に徳川時代から明治初年への物語を色こく刻みこませた人々であった。いまわたしたちが封建社会の崩壊期として理解している幕末と、中途半端な開化期として理解している明治初年についてのさまざまの物語りをもって。おゆきは、二人の祖母のだれも示さなかったやりかたで、明治初年の東京の庶民ぐらしの気分をつたえたたった一人の女だった。
 六つ七つのわたしは、竹すだれのかかった軒ちかく縫いものをしているおゆきのわきにころがっておゆきの家についていて、自分の家のとはちがう匂いを感じ、西日を顔にうけながらチンチンチンチンと、何かをたたいているような音をきいていた。その音は、前のうちの中からきこえた。
「あれ何の音?」
「さあ……おおかた錺屋《かざりや》さんで何かやっているんでしょうよ」
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