でも錺屋という商売が何だかわからなかった。おゆきの話ではその錺屋が大家さんなのだそうだった。おゆきがそこの人にものをいうときの声の調子で大家さんというのは普通の隣家とちがう何かであることはわかったが、カザリヤという商売との関係がわからなかった。ねころがりながら竹すだれの下からのぞいてみるカザリヤの台所口にも、おゆきの家のと同じような短い竹すだれが下げられていて、あたりまえの水がめや、バケツが流しもとに見えているきりだった。子供の目にカザリらしいものは表の小さな店にも、台所にも見えていなかった。
日露戦争がすんだころ、東京で元禄模様、元禄袖などと一緒に改良服というものが大流行した。歴史のありのままの表現で語れば、日本のおくれた資本主義は、日清戦争から十年後に経たこの侵略戦争で再び中国の国土を血ぬらし殖民地化しながらその興隆期に入ったわけであった。ウラルの彼方風あれて、とオルガンに合わせて声高くうたっていた若い母に、そんなことは何一つわかっていなかった。旅順口がおちたという一月二日に、縁側に走り出してバンザイをとなえた母の腰のまわりでバンザイと云って両手をあげた六つの女の子、四つの
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