そのなかには当然言論出版の官僚統制をもたらす用紙割当事務庁法案があり、ラジオ法案がある。国会の人さえ知らないうちに用意されたこれらの法案は、形式上国会の屋根をくぐっただけで、事実上は官僚の手でこねあげられ、出来上った法律として権力をもってわたしたちの前に出されて来る。法律は政府がこしらえるもの、その政府はなお大きい力におされているもの、悲しくもあきらめて徳川時代の農民のように、その人々を養い利潤させる年貢ばかりをさし出して、茫然とことのなりゆきを見ているしか、わたしたちにすることはないわけだろうか。
日本の大衆は、イエスとノーとを明瞭につかいわけることを知らないということが、二年ほど前、多くの外国人から注目された。また、苦しいときでも、悲しいときでも日本人はあいまいな微笑を顔にうかべている。それはみんな意志表示の習慣をもっていないことを語る特徴だと指摘された。そして日本が民主的な社会となるためには、日本の男も女も、はっきりめいめいの意志と判断とにたってイエスかノーかを表現し、拒絶したいことは、あいまいに笑ってすぎないではっきり拒絶するようにならなければいけないと忠告された。
きょう
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