なった外国紳士の姿である。さもなければあんまり早くアメリカ風になったという題でうつされている植民地的ハイカラーな日本娘のスナップがある。それはサン・アクメの写真にとられて外国の諸新聞や雑誌にのせられている。
 これらの現象を見くらべたとき、すべての真面目なひとの心に切実な疑問の声がおこらずにはいまいと思う。わたしたち日本の文化はどこにあるのか、と。

          四

 ほんとに、わたしたちにとって親愛で創造的で身についた日本の文化は、どこにあるというのだろう。
 思いめぐらすと、われわれがこれまで、文化について考える態度のなかには重大な欠点があった。それぞれの時代の社会事情につれて、次々に生れて来るいろいろな現象に対して、その現象だけとりあげ、いわゆる文化の問題としてとやかくいって来た。そして、一つ一つの現象の根本によこたわっている社会事情にまでつっこんでふれることは、社会問題、経済、政治問題の領域とされる常識があった。文化の問題は、そのため、いつも手ぎれいに表面だけを撫ですぎて、したがって一種の文字上のおしゃべりに終るかたむきがつよかった。
 いま、わたしたちは、文化そのも
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