、男でもないと云う一種幻想的な特殊の美が醸される点などは、場合によって、多くの効果を齎す。
 然し噛みしめて見ると、云うに云われないところに不満がある。矢張り不自然だと云うことになるのか。
 今日の女優には、数百の見物の眼と、与えられた役割との間に迷って、兎角あまり素晴らしくもない素の自分を露出させて仕舞う芸術上の未熟が付き纏っている。女形には、芸の上に於て、其那腕のなさはない代り、どうしても、エキスプレッションが、女形の芸としての知識の範囲を脱し難い。真個の女性が無意識に流露させる女らしさが、微妙な隅々で欠けているので、天真の軟らかみが乏しいとも云えよう。女形の女性は、筋の上で与えられた性格の特質だけを強調する点ではうまいかもしれないが、それ等の底に流れ満ちている泉のような何ものかを胸に抱く事は、殆ど不可能であるらしい。
 私は、「両国の秋」では梅幸の蛇使いお絹、その他を観、部分的のうまさには深く感心しながら、右のような感を押えることが出来なかった。
 お絹の絶望的に荒んだ心持はよく出ていた。
 特に、二幕目の始め、お絹の処へ林之助が訪ねて来た時、心に一杯の恨みと憤りとを持ちながらも
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