なものだと思わずにはいられません。
 従って、既成の倫理学の概念や習俗の力は、いざ[#「いざ」に傍点]という時、どれ程の力を持っているのかは疑います。これ等はただ、その人の内奥にある人格的な天質がそれ自身で見出すべき道に暗示を与え、自身の判断を待つ場合、思考の内容を豊富にするという点にのみ価値を持っていると思います。
 私は、過去に多くの人々が真愛に達し、輝きの自体と成ったのを知っています。
 それ等の人が経て来た道程も明かにされています。
 けれども、窮極に於て、自分は自分の道を踏まなければなりません。
 宇宙のあらゆる善美、人類のあらゆる高貴を感じ得るのは、ただ、私自身の裡に賦与された、よさ、まこと、によってのみなされることではありますまいか。
 こころよ、心よ……。私は、恭々しく謹んで、微弱な、唯一の燈火を持運びます。
[#地付き]〔一九二一年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1
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