二重に成る訳です。
「彼」に対する愛に、自分は面も向け得ない冒涜を感じずにはいられません。
そういう時、若し、苦悩や悔恨の鞭を感じないのなら、それまでの愛は、それ限りの強さで、人格的の影響を持っていたので、つまり、その人に運命的なものでは無かったのです。
自分は全力を尽して、踏み誤った一歩を還すでしょう。然し、永劫に、誤った一歩は誤った一歩なのです。
かような、重大な、而して余りに人間的な行違いは何によって起り得るかといえば、自分は、一言「未全なる愛」といわずにはいられません。
愛の力は強いのです。愛し、拡大し、創造しようとする意欲は愛すべきものです。
けれども、憐れな、力ばかりある強い愛は、それを充分に導く叡智の多量を蔵さないばかりに、自分の力を持てあまして自分を傷け、殺してしまうのです。
私にとっては、自分の「まことなるもの」の感じる、我に非ず、他人に非ざる愛に到達するまで、刻苦に刻苦することが目下の大切な、恐らく一生を通じての行なのです。
あらゆるものの本体を見得る叡智と渾一に成った愛こそ願わしいものです。
自分は、愛の深化ということは、最も箇性的な、各自の本質的
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