とによりそれを追懐することによって恢復しつつ新らしい生活を歩み出します。
友達が出来ましょう、話し相手なしでは――彼のことを話す相手なしでは――いられません。そして、最も自然な、在り得べき想像として、一人の信頼すべき異性が、自分の最も近い朋友と成ったと仮定します。
その場合、その人に対する友情は、自分の語り度い、忘れ得ない愛する者を、倶に愛し、認めてくれる、という点に源泉を持っているのです。
けれども、そういう場合、どうして、その人を透して彼を愛す、彼を愛する余りその人をも混同して愛の亢奮の裡に捲き込んでしまうことがないといえましょう。
私の考えに於て、この点が最も重大なのです。若し自分が真個に愛のあるべき状態に迄達しておれば、かような錯誤は決して起り得べきものではないのです。
愛は、何も、貴方を愛しています、または、愛して、愛して、今も愛していますというような告白や表現を望みはせず、云おうともしないものです。
けれども、執念が、云いたがります。返事をし、自分の眼を見返し、輝く愛を認めて欲しく思い、ひとりでにそう行動します。
そこで、右のような場合は、決して無いものだとは
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