との間には、いかに粗雑な眼も、見逃すことは出来ない径庭が在るのです。至純な愛が発露した時、若しあらゆる具体的表現が、自分の愛する者にとって、総てよい意味に必要である場合、勿論それは惜しみなく注がれるでしょう。然し、愛する者がそれを要としない場合、愛はその独自な本質から、自足して安らかな筈なのです。
これに、誰でも、真個に人間を、人類を貫いている普遍的な光明である愛の本流に、瞬間でも触れたことのある者は実感されることでしょう。
率直な表現を許して下されば、今、私は、自分の「真個なもの」によって、結婚した両性の愛は、何も、ちょくちょく顔を見なければおられない筈のものでも無く、自分の愛情の表現に対して、必ず、同様な方法によって応答して貰わなければ寂寥に堪えないというようなものであるべきでないことは、熟知しているのです。これ等は明に第二次的のものであるのを、よくよく知っています。
けれども、現在の自分にとっては、その第二次的な具体的な表現が、愛の強い信任と同様の重量を持つ場合が多々あるのです。
従って、自分が死去した良人を追慕し、彼が自分の隣に坐っていた時と同様の愛に燃立った時、それに応えてくれる声、眼、彼の全部を持ち得ないのだと想うことは、どれ程の空虚を感じるかということは明かです。
その空虚の予感が自分を苦しめます。考えさせずには置きません。
自分は、単に哲学的思弁によって肯定し得るばかりで無く、全我、全人格を以て、「生くるとも死ぬるとも我等は一つなれば」という悟りの境涯に入り度いのです。
少くとも、非常な場合に、結婚と同様な、一種の人格的飛躍で、その域に達し得るだけの叡智を持っていることだけは自信したいのです。
持ちたい、見たい、語り度い、という執念からは解脱したく、またすべきであると思わずにはいられません。
現在の、或る時には非常に原始的な愛の爆発を持つ心の状態のままで、不意に、思いもかけず、自分の手から愛する者を奪われたらどうなるでしょう。
ここに或る一つの場合を考えて見ます。先ず、私が良人を失ったと仮定します。自分は非常に、非常に彼を愛していました。死後も同様な、絶間ない愛を抱いているのです。ところが、生活慾の熾《さかん》な、刻々と転進して行く生は、私を徒にいつまでも涙のうちに垂込めては置きますまい。激しい彼への思慕を持ちながら、それを語ることによりそれを追懐することによって恢復しつつ新らしい生活を歩み出します。
友達が出来ましょう、話し相手なしでは――彼のことを話す相手なしでは――いられません。そして、最も自然な、在り得べき想像として、一人の信頼すべき異性が、自分の最も近い朋友と成ったと仮定します。
その場合、その人に対する友情は、自分の語り度い、忘れ得ない愛する者を、倶に愛し、認めてくれる、という点に源泉を持っているのです。
けれども、そういう場合、どうして、その人を透して彼を愛す、彼を愛する余りその人をも混同して愛の亢奮の裡に捲き込んでしまうことがないといえましょう。
私の考えに於て、この点が最も重大なのです。若し自分が真個に愛のあるべき状態に迄達しておれば、かような錯誤は決して起り得べきものではないのです。
愛は、何も、貴方を愛しています、または、愛して、愛して、今も愛していますというような告白や表現を望みはせず、云おうともしないものです。
けれども、執念が、云いたがります。返事をし、自分の眼を見返し、輝く愛を認めて欲しく思い、ひとりでにそう行動します。
そこで、右のような場合は、決して無いものだとは思えないのです。
左様にして、彼を倶に愛すが故に朋友となり、進んで愛人同士のような感情の表現を持つように成った時、自分はそれをいかなる心持を以て反省するでしょうか。
第一、自分の真に愛しているのは、明かに彼なのです。此人ではない。此人は、ただ、倶に語る、という意味で大切な、愛すべき人であったのです。
それ故、たとい、或る瞬間の具体的表現が、此人を愛する場合と、形に於て同様ではあっても、真実の意味で、それは、彼に求めたこと、彼から期待したことであるのです。
人間が、時に、或る一時的なエモーションから、最も愛する者との間にのみ自ら許している種々な動作を、誤っても為し得ると云うことは、恐ろしい、嫌厭以上のことです。
自分は、どれ程それを自らの深奥にある愛に対して愧じ、苦しむことでしょう。
若しその朋友が、秀でた叡智と洞察とを以て人間を見得る人なら、事は未然に防がれると同時に、自己の進退を弁えていましょう。
けれども、人間は、必ずいつも正義によって行動するものとは定っていません。
その人が、それによって自分を愛しているのだと誤信するように成れば、自己にとって許すべからざる誤りは
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