ちっともいなくなっちゃいましたね、震災からでしょうか」
区画整理が始まって、駒形通りは工場裏のように雑然としている。
「無くなっちゃったかな――この模様じゃあぶないな。――あれがないとプログラムが変るんだが……」
「どこです」
「え?」
私はたのしみの為にわざと返事を明かにせず行くと、右手の石や材木や乱脈の上に「前川、この先に移転仕り候」と大きな看板が出ていた。
「よかったわね」
「よかった」
「ああこの家なんですか……」
私共はすぐ前に河を見晴す座敷に通った。
「――よござんすね」
Yは網野さんの褒め言葉に上機嫌であった。
「いいんですよ。なかなか――こんな工事さえしていなけりゃ」
丁度座敷の正面の河中に地下鉄道の工事で出る泥を運搬する棧橋がかかっているのであった。そこへ人が立って時々此方の座敷を見る。
「――いつか可笑しなことがありましたよ、もう八九年も前になるな。T子さんと粕壁へ藤見に行ったことがあるんですよ、そしたらその年は生憎藤は一つも咲いてないで、大掃除なのさ。粕壁へわざわざ大掃除見に来たって大笑いしたはいいが、食べる物がないんでしょう、ぺこぺこになってここへ辿り
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