独自的な性質をいかし個々の作品に即した方法で討究されるところに来ている。

 さて、私はここで話題を転じ、そもそも文学作品の批評というものは、本来的にいって誰のためにされるべきものであるかということについては、はっきりさせておきたいと思う。
 私は日頃、文学作品に対する批評は、読者のためになされるものであると思っている。したがって批評する者の任務は、ある一つの作品、あるいは一つらなりの文学作品について、自分の主観から好きとかきらいとかを表明するところにあるのではなくて、ある作品を生んだ作家が意識しているといないとにかかわらず必ず代表している社会的な要求を、その作品の中でどう形象化しているかという具体的な関係を、創作の内容、形式の統一において、あきらかにして行くところにあると信じている。だから、そういうたてまえの作品批評にあって、相手は特定な個人ではない。その個人が知ってか知らずか代表している社会層が、批評する者にとっての相手であるという訳になる。
 それまで漠然とある小説なら小説を読んでいた人は、その小説に対するそういう批評を見て、はじめて、その小説の社会における客観的な意味を理解する
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