には立たない。」そういうことは昔から、ブルジョア作家によっていわれた。ひとの書いたものを、後からいいとか悪いとかいうことはたやすいことだ。そんなら自分で書いて見ろ。もっとも卑俗なわるい場合はその程度にまで行った。
 プロレタリア作家の間で一時同じようなことがいわれるようになったのには、また別の理由があったと思う。今日の発展段階に立って過去の作家同盟の活動を振りかえった時、すべての人が認めざるを得ないある規範主義が、作品批評の場合にも現れた。
 それに対してプロレタリア作家の大部分が、それぞれ自身の発展的傾向、あるいは消極的な傾向にしたがって、その規範主義に反撥した。ところが、その批評の規範主義に対する反撥は、複雑な関係で当時の作家同盟という組織への反撥をふくむものであったので、反撥の表現は、自然ひどく個人的な形態をとり、かつ感情的であった。その頃「やっつけ主義」の批評という言葉がはやった。そんな「やっつけ主義」で作家を萎縮させる批評なんぞ蹴とばせ! 作家は何でも作品を書けばいいんだ。そういう声がブルジョア文壇で叫ばれていた「文芸復興」の呼び声に呼応してさかんにこだました。
 その時分、
前へ 次へ
全13ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング