学批評の分野に、『文学評論』の巻頭言が警告しているような、唯物弁証法の図式的批評が「再発」しているということは、それが「再発」であるということのために、私はひとかたならぬ関心をよび起されたのである。
 なぜなら、私自身、前にも書いたとおり、かつて作品批評に際して唯物弁証法の幼稚な機械的適用をやって、左翼的逸脱の危険を犯した経験をもっている。それにはそれで、当時のプロレタリア文学運動の情勢がきわめて有機的に私の心持に作用していたのであった。
 簡単にいえばあの時分は、プロレタリア作家として自他ともに許していた林君などによって階級性を没却した文学の評価の傾向が強い勢でつくられつつあった時期なのであった。それに対して、もとの作家同盟の先輩たちは、当時の私にはその気持が全くのみこめないような受動的態度であった。そういう一つの傾向に対して正当に批評を組織してゆくどころか、正面からその問題にふれることさえなぜだかちゅうちょされているように見える状態が続いた。
 今日になってかえりみれば、同盟の先輩たちが当時そのような無批評の状態におちいっていたのには、さまざまの複雑な私的公的のもつれ合った心理的な理由もあったことが私にも分るのであるがその当時は合点が行かなかった。
 読者である大衆に対して、そういう態度をつづけることは無責任であるという風に私は考え、いわば大義名分をあきらかにせずにはいられないような情熱に動かされてその批評、感想を一緒にしたような文章を書いたのであった。
 その文章にふくまれた理論的な誤謬も、現在では過去のプロレタリア文学運動史の一頁としておおやけに批判ずみのものなのであるが、私は、もっとも素朴な形で現れた誤謬は別として、その頃の周囲の雰囲気と自分の心持との間に起った緊張した相互作用について、今日もなお生活的な色彩のあざやかな印象を蔵しているのである。
 歴史はいたずらに反覆するものでないから、今再び若い批評家の間に、唯物弁証法をたてまえとしようとして図式主義におちいった批評の要求が現れたとしたら、それには又、私が経験した時代と異った社会的要因がなければなるまい。時間にすれば、わずかに二年足らずの間であるが、今私たちの前には社会主義リアリズムの実践の課題が提起され、社会の情勢も二十一二ヵ月以前のままではないのである。かつてのように批評沈黙時代ではなく、今はむしろ
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