ピエール・ロチが長崎を描いている一番美しいところは、お菊が俥にのって、白い小さい彼女の東洋の顔の上に、祭りの夜の町の色提灯の灯かげを次々とうけながらゆくところである。琴平の怪奇なようなぼっこり山の黒いかげの下の真暗な石段道も、そこが四国であれば珍らしく思えた。
 石段の数が次第に多くなって黒いぼっこり山の頂近いところに、煌々と電燈を射出している一つの家が見えた。
「一寸おどかそうかな」
 若い人はひとりごとのように含み笑いして、
「奥さん、宿やは、あの位のところですよ」
と言った。
「まさか!」
 それでも、いくらか怪しいと思いながら、なおいくつか石段をのぼらされ、やがて左側にたった一つ丸い軒燈がついている店の、閉った表戸の前に立った。くぐりをあけて入るとき、近くに大鳥居のあるのが目に止った。鳥居の下なのね、と云った。けれども、それがけさみるこの琴平の、あの忘られない石段のはじまる大鳥居だとは思いあわされなかった。自分たちが泊る宿やを、土産ものやだのお詣りだのの真只中にあるものとして考えられなかったのであった。
 お詣りの定期が終ったばかりだそうで、土産ものやの前は閑散であるし、虎丸旅
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