た。
「白い鳥がとんで居る、□[#「□」に「(一字不明)」の注記]ラ、ネ、あんな立派に、その背にのって居る私達は、うれしい、まるで、ネエ」
紅はそっと目をふいた。乳母は目をつぶって珠数をつまぐって居る。
光君は手をのばしていきなり紅の手をとった。
「この手と彼の人の手と同じ形をして居る、不思議なもんだこと。あんなきれいなかわいい人もやっぱり人間だと見えて、同じ手をもって居るらしかったけれど、アラ、彼の人が怒り出してしまった。かんにんして下さい、美くしい方。青い雲がながれて、虫がないて、私が笑って、貴方が笑って、人が笑って……、アラアラ、鳥が飛ぶ、私達の心のようにネエ」
手をいきなりはなして、人形をしっかりだいて、コロリとよこになったきり光君はもうねてしまって居る。
「私達も気が違って死んでしまった方がましですワ。ほんとうにこんな御うつくしい御方がネエ、これから先にも、これからあとにも、こんなことは又と有りますまいものを」
紅はそのみやびやかなね姿を見ながら、しずんだ、おっとりした声で云う、目はうるんで居る。
「エエ悪い神の御もちゃになって御しまいになったんです、あんまりねたましいほど御美くしいのがたたって。ネエ、それに違いありません。美くしさを司る神がそのあんまりの美くしさをねたんであんなに御させしたんです。大奥様もそう云っていらっしゃいましたワ。神にねたまれるほどかがやかしい子を生んだ私もわるいのかも知れないとネ」
紅は斯う云いながらしずかに乳のみ子のようにね入って居る光君の上に被衣をきせかけながら云う。ねて居たと思った光君は着せ終ってそうとひこうとする紅の裾をしっかりとにぎってほほ笑みながら、
「つれない人、そんなにしずと、マアしずかにして居て、私はこんなに泣いて居るのに」
なおぎゅっとにぎりながら急に淋しいかおになって、
「私の命は段々と花のしもに合うようにネー貴方も一緒に行って下さる? 美しい国に……、青い波につつまれて……やわらかい若草がもえたって小川の源の杜に赤い鳥が――アアアア悲しい! 何故、アア二人きりで、ネエ」
紅は――若い紅は、あこがれの多いような光君の言葉をものぐるおしい人の言葉とは思えなかった。きをかねるように乳母は、と見るとねに行ったのか影はない、頬をポッと赤くしながら絵の中の人になったようにそこにそうっと座った。ほのぐらい中に二つの白いやさしいかおがういたようにならんで見えて居る。紅はこころの中によし光君はなおったあとに忘られることで有っても一寸でもこの時間の永いことがのぞまれた。
「どうぞこっちを向いてね。せめてやさしい声だけでも、オヤ、アラ、笑ってる、忘れてくれる悲しいことを皆んな――世の中、世の中、何故! 妙なものだ」
紅の手は光君の手の中に小さく、柔らかくふるえて居る。
「若さま、御存じでございますか、私を? 誰だか――」
小さい女らしい声できいた。
「誰だってきくの、私が知らないと思って居るの? 私は知って居るとも、美くしくて私につらくあたる人、思わせぶりな罪な人って云うことを」
「違います、私は、私は、貴方の御召つかいでございますの」
「ホラきれいじゃあない、この着物は、この模様、何だと思う――アアいやだいやだ、どこに行ったらたのしいところがあるの――美くしいほんとうに私は死ぬほど思って居るのにこの人は」
片手で人形をゆすりながらいたいほど紅の手を引く、かおがぶつかるほど近よせて、
「オヤ、アラ、お前はお前は目が三つも有って、アアきっと彼の人を呪って居るんじゃないかしら、そうじゃあない? まあいい、美くしい可愛い、私の死んだ時にネエ、雨が降って花が散って、人は笑ってましょう」
何だか正気のようだと紅は思ってそっとそのかおをのぞいた。目はいつものように上ずって居る、かがやきもなく、只あやしくくもって居る、口元にはさみしいほほ笑みとかなしげなといきがもれる、手はふるえて居る。女は自分の事を云われて居るのかと思えばそうでもなし、そうでないと思えばいつの間にか自分のことを云われて居る、つきとばされたりなでられたりして暮して居るこのごろを、死んでしまいたいと思うほどつらく情なく、又はなれにくいほどのしゅう着をもって居た。紅はこんなことも思って見た。
「若様は正気がなくっていらっしゃる。思いきって、思いきって、思ってるたけを申し上げてしまったって、御なおりになってからは御存じないんだから」
けれ共今までながい間の年月包んでけにもさとらせなかった辛抱を今ここにすっかりぶちまけてしまうことはあんまりあっけなく残念にも思って居た。
気の狂った光君、この人をそうっと思って居る紅、只乳母と云う名のために心配して居るもの、朝から晩までつききりについて居る紅をうらやむ女達、斯うしたいろい
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