調子の妙なのに女は妙なかおをしながら、
「アラそんな事はございませんよ、誰が申しました。私は一人で淋しくなきながら貴方の御かえりを待って居りましたのに」
「ほんとにさぞ淋しくかなしかったことでしょう、いたちの道切りをされた時には」
「貴方今日どう遊ばしたんですの、紫の君の着物を御もらいになったのでどうか遊ばしたんでしょう」
「…………」
「私はどんなに貴方を思って居るか、御わかりになりませんの。
ほんとうに私はどれほど貴方を思って居りましょうか、どうぞ哀れとお思いになって下さいませ」
「…………」
「私はあなたのそのまぼしい様にお美くしい御かおを見て身にしみる様に、そのうつり香をかぐ時私は私はマアほんとうに」
女は青筋の沢山出た手で光君の手をとった。光君はだまって手をとられて居たが、いきなり女君をつきとばすようにして立ちあがり、
「よろしく、御腹の赤さんに」
と云って戸のそとに走り出てしまわれた。廊を走って行く足音がどこまでもつづく。
(十二)[#「(十二)」は縦中横]
フラフラしながら部屋にかえって来た男君は集って居る女達に一言も云わないで、几帳のかげに入ってしまった、身じろぎの音もしない。女達は眉をひそめて、
「どう遊ばしたんでしょう」
「又、何じゃあないんでしょうか」
「妙な御様子ですこと」
などと云い合って居た。乳母は気が気ではなく若しや気でも変になったのではないかと時々いろいろのことをたずねる。
「紫の君はどう遊ばしました」
「また無情くされた」
「又、又でございますかマア何という」
乳母のかおは前にもまして曇った。
「もう私の死ぬのは目の前に迫って居る。私の十八の生命は長くて短かかったネーお前にもいろいろ御世話になった」
話をすれば間違ったことは云わなかった、けれ共夜はすることもなしにボンヤリとおきて坐って居て昼は他わいもなく寝入って居た。そんな日が一週間も綴いた、八日目の日男君はわきに居る女に、
「母君のところから大きな雛《ヒナ》を一つかりておいで、女びなを」
せいた調子で云いつける。
女は不思議なかおをして、
「おひな様でございますか、何に遊ばすんでございます」
「何故もって来て呉れないのか、私は死んでしまうから」
こわいきびしい調子で云ったので女は気味をわるがって西の対へ使に行って間もなく美くしいひなを持って来た
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