かえったんでしょうか」
真顔で云った。それをきいたとき、皆は一様に口惜しいなかで思わず失笑したのであった。
そばをたべたら、一時頃になった。百八の鐘を誰もききつけなかった。それがサエにはうれしかった。あの鐘があっちこっちで鳴り出すと、サエは子供のうちから落着かない変な気持になるのであった。
もう元日だからサエのかえる前に皆でお屠蘇《とそ》もしようということになった。それを云い出したのはまさであった。
まさが下からごまめやこぶ巻を入れた重箱を持ってあがって来る。うしろからおばあさんもついて上って来て、大きいチャブ台のまわりに皆がつめかけた。
「ここが八畳間だといいんだがね」
佐太郎が云った。
「いいよ、あったかで……」
普通のまちまちの形をした猪口が三つばかりあった。サエが、
「私につがして」
そう云って屠蘇を入れた瀬戸物の銚子をとりあげた。
「おばあちゃん、そこんところへ結びつける蝶々みたいなもの、どこかにありましたね」
「さあ、……どこじゃか……あったねえ」
だが、おばあさんもそんなことには大してかかわらず、猪口を両手にとって改った顔つきになりサエの方へ向いた。サエは何年ぶりかでお正月の屠蘇というものの酌をした。皆黙ってサエの手元に目をあつめた。屠蘇が猪口に一杯になり、おばあさんがそれを丁寧に一口すすって、
「マア、美味いわ」
と、若々しい声をあげると、急に陽気にざわめき立って、笑った。
坐っている順に屠蘇をのんだ。
「去年のお正月は淋しかったねえ」
まさがしみじみと云った。すると佐太郎が、
「大体、こんなことするの、われわれだってはじめてぐらいのもんじゃないか」
「そりゃ、そうだけれど……」
サエは、銚子をチャブ台の上におきながらどこか熱っぽい輝きのある目つきをして、まさに、
「私うれしいわ、ここで賑やかにこんなことがやれたから――」
と云った。
「専吉さんがつかまったりして、わたしは、なおじゃんじゃんお正月でもしてやりたい気持でしょ? だのに、うちったら門松もないんだもの、癪だった……」
親戚に不幸があったとかで、サエが二階をかりている家では、たった一軒だけ門松を立てていないのであった。まさは云わず語らずのうちに、サエの心持をくんでいてくれている。そのことをサエは無言のいろいろのことから感じているのであった。
やがて、佐太郎が、照れた
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