のがところせまく並べてある前に、いかにもよくあったまった湯あがりらしい色ざしのおばあさんが小さく坐り、
「まさちゃんが見んけにャ……」
と云っている。まさの後から佐太郎も足音高く下りて来た。まな板と庖丁、箒などを夫婦で見て買った。
「まあ、何年ぶりじゃろ……よう辛抱しとったものなあ」
サエは、袂を胸の前にかき合わせ、傍にしゃがんで買物を見ていたが、
「押しきりがやっと庖丁になったね」
と笑った。
「ほんと!」
上り端の箪笥の上に鏡台がのっていた。サエがそこの電燈をひねり、鏡をみながら髪をかきつけていると、向い側の家の障子にもパッと燈かげが溢れ、人声がする。ポンプをもむ音も聞える。日頃は早寝の界隈も、今夜はざわめいている。ザーと勢よく水をつかう音がし、
「なんて、いいんでしょう!」
台所でまさが新しい爼板《まないた》で何かきりながら、感動のこもった優しい声で云っているのがサエに聞えた。
「なんて、いいんでしょう! きずをつけるのが何だかこわいみたいだ!」
その台所口からも、隣りの家の明るい風呂場のガラス窓の上に黒く人影が動くのが見え微かに石炭の煙の匂いが漂って来る。かれこれもう十二時であった。――
「そば、忘れちゃったんじゃないか」
進が待ちかねたように云い出した。
「いや」
目をしばたたきつつ、
「今夜は、待たせることをむこうじゃ勘定にいれてるんだ」
佐太郎が説明したが、サワ子は自分が云って来た責任上当惑そうに、
「わからなかったんでしょうか」
と、皆の顔を見まわした。
「きつねを、たぬきとでもきいたんであるまいか」
「サワ子さんたら!」
満子が編物をとり落すほど笑いこけた。サワ子は、プリントの仕事などさせられると粒の揃った細かい字が書けないで先ず閉口するたちであった。いつかもこういうことがあった。
或る仲間が、もしかすると検挙される危険があるという場所へ出かけ、遂にやられた。そのとき、安否を見とどけるために別の仲間が一人ほんのちょっとはなれたところまで行っていたということがあとで知れた。その話をきいたとき、まさもサエも、
「何だろう! ただ見とどけたって、あとの祭りじゃないか」
と残念がった。ちょうどそこにサワ子も居合わせた。彼女は腹立たしそうに胸を張って、
「安否を見とどけるって――変ですわね、見とどけて、ああこれは否《ぴ》じゃわ、とそのまま
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