た。
「縁を切った昔の女が、あなたを取って食うとでも言うんですか」
 話にもならんという風で、ハッハッハと闊達らしく笑いすてた山口仁一の黒い髭の動きが、まざまざと瀧子の眼に浮んだ。大きく腕をうごかして、瀧子が出した団扇《うちわ》で煽いだとき、上衣をぬいだワイシャツの脇から背が風で白くふくらんだ。率直と闊達、それを山口は補習学校でも評判のいい女教師である瀧子に対して自分のとりえとして示すのであった。
「突然あがったりして、無礼な男だとお思いになりませんかとも思ったんですが、僕としては、溝口ゆき子さんがあなたにお話し下さるにしても、どうもそれを待ってばっかりいずに、直接お会いして気持を分って頂く方がいいと思ったもんですから――つまりマア、言ってみれば、僕は年からいっても分のわるい求婚者といった立場ですからな」
 十日ばかり前のある晩、瀧子がひとり暮している二間の小さい家の夾竹桃の咲いている縁先にこの辺では珍しい白服にパナマ帽、竹のステッキをついた山口が訪ねて来た。妹が結婚して大陸へ行くまで瀧子は隣村に勤めていた。その時分、公の席では町の有力者の一人として間接に見かけたことも度々ある山口は、
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