む、この分だと大分日本側として決意をかためとるらしいね」など、消息通めかして独言した。そして、
「きょうは、ひとつ、あなたの尊い日本婦人としての母性愛にすがって、もう一遍僕の気持をきいて頂きたいと思って」
と、山口の言うことは、瀧子がゆき子からきいた同じことがらを、もっと感激調に飾った内容であった。
「そりゃ、僕という男は欠点が多いです。人間だから、誤りもある。だが、子供らは、その罰を受けなけりゃならんというのはあまり不憫です。僕の僕としての純愛は理解して頂けると思うんだが……」
瀧子は、波立って来る心持を制して穏かに言った。
「そういうお心持なら、やっぱり一番いいのは生みのお母さんです。あなたの御事情がわかればその方もきっとよろこんでまたおかえりなさいますよ」
「――覆水盆にかえらず、です」
経済的な瀧子の条件に山口が目をつけている。また、女教師という地方では身動きの軽くない周囲からの旧いものの考えかたの掣肘も男の便宜として考えに入れている、そのことがまざまざとわかって、瀧子は口を利くのもものういのであった。
「どうぞ、この話はお打切りになって下さい」
一時間の余も対坐した後、瀧子は山口に言った。
「ひとが見たら私の我ままかもしれませんが、とにかく御希望に添いかねるんですから」
山口は、しきりに目瞬きをしながら、自分のやりかたのどこが瀧子の気に入らなかったかと思いかえしている風であった。
「どうも分らん」
そして、「こうやって御婦人一人のところに来たって、僕が一度だって怪しからん振舞に及ばないことを考えたって、人格を認めて貰えると思うんだが……」
団扇で顔の半分をかくしながら、瀧子は腹立たしいおかしさをやっと堪えた。ああこれはなんという愚劣な告白であろう。
次の日の帰り、汽車がこんで、瀧子は昇降台と車窓との境のところにオリーヴ色の袴の裾をはためかせながら立っていた。村の停車場の端れに川があって、短い鉄橋をゴッと渡ると機関手はいつもスピードをゆるめた。それから構内の組合倉庫が目の前を掠め、露天に砂利を敷いたプラット・フォームにかかるのであるが、機関車から二つ目の車輛にいた瀧子は、汽車が止りかけると、降りようとする人波にさからいながら急に無理な動作で、洗面所の前の見とおしのところへ体を引こめた。改札のところで駅夫と喋っている山口の姿が、むこうでこちらを見
前へ
次へ
全8ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング