します。もう何とも裁判長は音が立たないのです。高岡只一が凡そ四時間に亙って陳述した間、裁判長はただ数度小さい言葉尻をとらえて、それで威厳でも示そうとするようにこけ脅しめいた文句を云いましたが、誰も問題にしていない。威厳は裁判長にはないのです。党員たちの態度の方に威厳があると感じました。共産党の公判は公開ではあるが、勤労大衆に便利な日曜日には開廷されません。勤めがすんでから傍聴へ職場から動員されるように夜公判がひらかれることもありません。新聞では、こんどの帝国主義戦争がはじまってから、公判記事をまるでのせない日さえあるように狡く立ちまわっています。党員たちの闘争力と大衆の力で、形ばかりの公開公判をやっていてもブルジョア政府は、たじたじの姿を見せたくないから、公判廷の小さいこと! きっと大勢押しよせれば入れ切れないというのを口実につかうでしょう。
 私は、始めのこわいものみたさのような心持はなくなり、逆に、なぜわたし達のような働く婦人まで共産党というとおっかないもののように思わされていたかという訳がまざまざわかったように思いました。共産党がこわいのは、私たちにとってではないのです、搾取している彼等にとってこそこわい力なのです。
 渡政のおっかさんは最前列に腰かけて、時々愉快そうに笑ったり、キッと注意をかたむけたりして一つもきき洩すまいとしています。私は、演説の間思わず本当にそうだ! と手をたたきたくなったので困りました。どんな工面をしても働く婦人が公判をききにゆかないという法はないと思いました。だって、そうではありませんか。この頃わたしたちが本当にききたいと思うような講演会で中止にならないことはありません。公判で堂々と話される演説には、どんなにはっきり云われても、中止! はないのです。これだけでも、わたしらの教わることは話のほかです。
 私は失業中で切ない暮しですが、傍聴にはこれから出来るだけ度々来ようと決心しました。私を失業させたのはこのブルジョア社会です。私はそれとどんなに闘うかというやりかたを少しでも、闘士たちの闘争ぶりから学ぼうと決心したのです。あの人々は命がけで、私達が毎日闘っているものと闘っていてくれるのです。
 生意気のようですが、みなさんもどしどし傍聴に出かけたらいいと思います。もうじき四・一六の記念日ですから、私達はかたまって大勢で押しかけたいと思っています。[#地から1字上げ]〔一九三二年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「働く婦人」日本プロレタリア文化連盟
   1932(昭和7)年4月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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