々が、永い獄中生活にもかかわらず、一九四五年十月に解放されてからすぐ共産党の合法的活動に着手したことを思いあわせると、私たちは同じ共産党員といわれる人々の中に、非常な大きい差別があることにおどろく。
同じ共産主義者といっても、困難な条件におかれたとき、佐野、鍋山、三田村のように共産主義の理論を、自分の身を守るに都合のよいようにねじまげて安全をはかり、しかも治安維持法のなくなったあとまで、勤労階級の民主化と解放を邪魔しつづけている事実は、すべてのまじめな人々を深く考えさせずにはおかない。
今日日本の共産党は十万の党員を組織している。私たち一人一人がみなその十万の一部をなしている。三・一五が二十年目の記念の日をむかえるとき、すべての党員は自分たちがどんなたよりになる党員であるかということについて、よく自分をしらべてみるべきであると思う。なぜなら治安維持法そのものはなくなっても、日本の民主化の現状をみれば勤労階級の当面している困難は決して単純でない。佐野、鍋山、三田村達がさかんに策謀している組合、労働組合の民主化運動に対し組合員党員の一人一人がどんなに正しくまたひろい実際性をいかして闘っ
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