、十度目でもさらだから始末がいいわ――ね、本当にどうする? 私これからかえったって仕様がないから、冷たくってよかったらお鮨でも食べようじゃないの」
「いつもお前にばっかり散財かけてすまないようだね」
「水臭いの。――じゃ一寸云って来るわよ」
 ごたごた、主のない下駄まで並んでいる上り口で、自分の草履をはきながら、志津は珍らしそうに、そこにぬいである女靴を眺めた。
「まあ、細い靴、よくあの体でこんな靴はけるもんね」
「子供んちから締めてあるのさ――見かけばかりでは仕様がありゃしないよ」
 せきは、軽蔑するように囁いた。
「はばかりから出ても手を洗うこと一つ知らないんだからね」
「――……いい塩梅に風が落ちた……」襟巻をきゅっと引きつけ志津は街燈のついた往来へ出て行った。

        四

 明るい冬の日光が窓からさし込んで室内に流れた。土曜日だ。もう往来で遊んでいる子供の声が、彼等の二階まで聞えた。ダーリヤ・パヴロヴナはゆったり長い膝の上に布をたぐめて、縁とりをしている。向い側に、髪をもしゃもしゃにしたままのマリーナ・イワーノヴナが茶色のスウェタアに包まれ、頬杖をついてダーリヤの指先の動きを眺めていた。彼女の前に、白と桃色の毛糸で編みかけの嬰児帽が放り出してある。彼女がこの二階に来てから五日経った。ダーリヤも、マリーナも、その五日を実にはっきり数えて過して来たのだ。――
「アーニャ、何ぐずぐずしているんだろう」
 マリーナが、その日何度目かにぶつぶつ云い出した。
「あの娘《こ》には、どんなに教えたって物を手取早くするということが解らないんだから――エーゴルの姪に違いないわ」
 ダーリヤは落付いた調子で答えた。
「子供ですものまだ何と云ったって――でも本当に年より役に立っていますわ」
 マリーナは朝から、養女のアーニャが麻布の夫の家から使に来るのを待っているのであった。
「私に充分正当の理由のある衝突でこうやっているのに、顧客《とくい》まで失くしちゃいられないわ、ねえ」
 彼女は、自分のところへ来た注文はどんな小さいものでも、洩れなくアーニャにダーリヤの二階まで運ばせた。彼等夫婦の間には他人の理解出来ない特別の諒解があると見え、そんな持続的の喧嘩をしつつ、エーゴル・マクシモヴィッチの方も、妻の稼ぎに対しては咳払い一つしないらしかった。そんなことは、ダーリヤの常識に
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