t として描いて行こうとする態度である。これ等三様の態度を反省して見て思う事は、先ず第一、各《おのおの》の傾向に intentional な選択が行われている事である。自分はこう云う風に遣って行こう、と思った場合、当然起る心のこだわりを、どうしたらよいのだろう。
どうしても、偏狭や妥協、自己陶酔があると思う。一般的に気質の傾向が感情的だとされる女性にとって、これは有勝な事で、又恐ろしい事であると思わずにはいられない。
ひとむき[#「ひとむき」に傍点]は決して悪くはないであろう。しとやかな謙譲は褒むべき事であろう。何物にも我を乱さない態度は立派である。けれども何より私共が忘れてはならない一つの事は、それ等のどれでもが、皆我もひとも無い、総てのものを突抜いた奥の奥から流れ出すものでなければならないと云う事である。
女性の作家が、生活の為に創作をする事の少い現在の状態は、動機も純粋になると同時に、一種よそ行きな、拵えると云う心持を創作の時に持たせる事がありはしまいかと思う。
拵える、見て貰う、と云う心持が抜け切らないと、昔からの出来るだけ見よく仕て見て貰うと云う女性特有な関心と affectation が動き出して来るのではないだろうか。
大掴みな反省ではあろうが、ここまで考えて来ると、自分は、本当に「人」に成り度く思う。一切の小さい装いや、好い気を捨てて本然に生度いと思う。生度いと思う。確《しっ》かりと、正直に苦しみ、正直に有難がり、正直に悦んで、「人」を拡大して行き度いと思う。
自分や他の女性が嘗て持ち、今もその遺物として持っている「人」としての弱小さは、人と成ろうとする努力によってのみ救われるだろう。如何にして人と成るか、如何にして真実な芸術を創造し得る魂を持つかそれは、その人々に遺された問題であると思う。[#地付き]〔一九二〇年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「時事新報」
1920(大正9)年7月21〜25日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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