ツだとわかると、どうしたわけか、外側にいた一人が、返事もしないで、すっと大きい娘のむこう側に隠れてしまった。
フランツは、少し寒くなって来た暗がりの中で苦笑いした。暫く経ってから、彼は此方側にいる雀斑の娘に云った。
「お連れになろうよ。その籠をお出し、持って上げるから」
その娘は逃げない代りにまるで無愛想な口調できっぱり、
「いや!」
と断った。そして、益々空いた片手を振りながら、真正面を見て、歩きつづけた。
「いやよ、私触っちゃいやよ。――ガスタブがお前は悪魔だって云ったわよ」
フランツは、小さい娘をじろりと見て、肩を揺った。娘は、止めどがなくなったように、また云った。
「ガスタブばかりじゃあないわ、みんなそう云ったことよ。お前みたいに――うう、時計屋の子の癖にそんな――イエス様みたいな顔をしているなんて、てっきり悪魔に違いないって。だから私」
娘は睨むようにフランツの顔を見た。フランツはおどろいて娘を見た。
「触ってなんか貰いたくないの」
二三歩、小娘は、こわさを我慢してしゃんしゃん歩いた。が、フランツが一寸手を動すと一時に「わーッ」と声をあげ、三人一度に転るように彼の傍から馳け去ってしまった。
フランツは、ぼつり独りで、頭を垂れ、列を脱れて日暮の路を帰った。
その晩、フランツは生れて始めて、しげしげと鏡で自分の顔を見た。娘の云ったのは嘘でなかった。
床に入ったが、寝つくどころではなかった。彼には自分というものが、まるで解らなくなってしまった。
屋根部屋の窓から光が差して、寝台の裾から床に蒼白い月光の湖を作っていた。時々、黒い木の小枝や葉の影がちらちらする。フランツは、寝鎮った夜の裡で、沁々考えると、何ともいえない陰鬱な恐怖に襲われた。自分の前途には何が待っているのだろう。
神は、思いも設けない時計屋の子の自分にこんな特別な相貌を与え、神の子を顕させようとするのか。または、本当に恐ろしい悪魔の力が自分に悪戯したのだろうか。
フランツは、寝床を出て、水のような光りにさらされている木のむき出しの床に跪いて永いこと祈った。寥しい、胸の引きしめられる苦しさが起って、彼は涙を流した。
もう到底平気で父に貰った聖画の基督を見ることは出来なくなった。万聖節の晩、父親が何故あの絵の傍に自分を立たせたか解るとともに、その記憶は、彼に、いくら十字を切っても切りきれない、堪え難い心持を起させるのであった。フランツは、裸足のまま立上って、机の傍へ行った。そして、顔をそむけて、そちらを見ないようにして、少年イエスの画像を暗い壁の上からとりおろした。
底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
1979(昭和54)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第二巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「中央公論」
1924(大正13)年1月号
入力:柴田卓治
校正:渥美浩子
2002年1月1日公開
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