の日本映画を誕生させるためには、見える又見えざる各種の障害を潜めているのではなかろうか。例えば最も見易い技術的な問題に連関してフィルムその他諸材料の質の低下その他から始まって。これらの事情は、映画企業に当る者、製作に当る人々の精神、感情、処世の智慧にも及ぶ関係をもっているのである。
既にはっきり予見されているこれらの困難を製作者と観衆とはどのようにのり越え、企業性や統制の方向と折衝してゆくであろうか。今日の社会生活の全面にあらわれている多難性が、ここにも映っていると思われる。最近日本映画の優秀作品として「若い人」「路傍の石」「冬の宿」「鶯」その他長篇小説のいくつかが映画化され日本としての高い水準を示したものとされた。文学の作品を映画化して行こうとする製作者の心持のうちにある現実への真面目な要求はよくわかるところがある。けれども、今日、すこしみがありおのずから触れるところのある映画を製作しようとすると、題材を既に出来上っている文学作品に求めなければならないところに、映画の成長としてこの問題があるのではなかろうか。日本映画の内的世界の歴史的な一種の立ちおくれが感じられる。
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