のになってしまった。
田舎に居て、東京の様子に暗い夫婦は、血縁と云うものが、この世智辛い世の中で働く事を非常に買いかぶって、当座は大船にでも乗った様な気で居た。けれ共、折々よこすお君からの便り、又、東京に居る弟の達からの知らせなどによると、眉のひそまる様な事がやたらとあった。
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「どこもこんなもんよ。
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栄蔵は、若いものには苦労させるのが薬だと云ってさほどにも思って居なかったし、又、今となってどう云ったところで、始まらないともあきらめて居た。
娘があんまり利口《りこう》でもないしするから、片方の口は信じられないと、女の子によほど心を傾けて居ない栄蔵は、やきもきして、どうにかせずばとさわぐお節をなだめて居た。
仕舞には、きっと、
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「今になって、何や彼やわしにやかましゅう云うてんが、知らん。
お前が、せいて、早う早う云うてやったんやないか。蒔いた種子位、自分で仕末つけいでどうするんや。勝手もいいかげんにしとけ。
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と、とげとげしい言葉になって、気まずく寝て仕舞うのが定だった。
暗いラムプの灯の下で、栄蔵はたのまれて書き物をして居る。
落ちた処ろどころをそろわない紙で抑えた壁に、大きな、ぼやけた影坊子[#「坊子」に「(ママ)」の注記]が、身じろぎもしないで留まって居る。赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、テラテラ妙に光って、ぼろになった畳と畳との合わせ目から夜気がつめたくすべり込んで来る様だった。
火の気のない、静かな、広い畑の中にポッツリたった一軒家には、夜のあらゆる不思議さ、恐ろしさ、又同時に美しさも、こもって居る。
年を取って、もう、かすかな脈が指にふれるばかりのこの人でさえも、あまりの静けさ、あまりの動かない空気の圧迫に驚いて、互に顔を見合わせ、
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「静だすえなあ。
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と云うほどであった。
弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間《みけん》が劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。
紙をまとめて、机代りの箱の上にのせ、硯に紙《かみ》の被をし筆を拭くと、左の手でグイと押しやって、そのまんま燈《あか》りの真下へ、ゴロンと仰向になった。
非常に目が疲労すると、まぼしかるべきランプの光線さえ、さほどに感じない様になるのだ。
黒い眼鏡の下に、一日一日と盲いて行く眼をつぶって気抜けのした様な、何も彼にも頭にない様な顔をして居た。
なげ出した顔をお節の方から見ると、明らかに骸骨の形に見えた。
非常に頬骨が高い性《たち》の所へ大きな黒眼鏡をかけて居るのでそれが丁度「うつろ《洞》」になった眼窩の様に、歯を損じた口のあたりは、ゲッソリ、すぼけて見える。
お節は、つぎものの手を止《と》めて、影の薄い夫の姿を見入った。
地の見える様な頭にも、昔は、左から分けた厚《あつ》い黒々とした髪があったし、顔も油が多く、柔い白さを持って居た。栄蔵の昔の姿を思い浮べると一緒に、小ざっぱりとした着物に、元結の弾け弾けした、銀杏返しにして朝化粧を欠かさなかった、若い、望のある自分も見えて来た。
無意識に手をのばして、自分の小さい櫛巻にさわった時、とり返しのつかぬ、昔の若さをしたう涙が、とめ途もなくこぼれた。
涙に思い出は流れて、目の前には、不具な夫の小寂しい姿ばかりが残るのである。
ややしばらく身動きもしないで居た栄蔵は、片手をのばして、お節の針箱のわきから、さっき来た手紙を取った。
娘の手蹟を、なつかしげに封を切って、クルクルクルクルと読んで仕舞うと、ポンと放り出して、
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「あかん。
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とうめく様に云った。
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「何んや、
どこからよこいたんどすえ。
「東京――お君からよ。
病気になって、偉う困っとる云うてよこいたんや。
腰の骨が膿んだ云うてやが、そんな事あるもんやろか、
とんときいた事はあらへんがなあ。
「え? 腰の骨が膿んだ。
まあまあ、どうしたのやろ、
あかんえなあ。
そいで何どすか、切開でもした様だっか。
「うん先月の十一日に切ったそうや。
もう一月やな。
そいに、何故、もっと早う云うて来んのやろ。
何と思うて、今まで、延ばしよったんか、そいやから彼《あ》の娘《こ》、いつもいつも抜けや云われるんや。
「ほんにまあ、どうしたんやろか。
去年の『厄《やく》』は無事にすんださかい安心しとったになあ、方角でも悪いんやろか、気がつかなんだが
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