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「何ぼ私が酔狂だって、何時なおるか分らない様な病人の嫁さんに居てもらいたいんじゃありませんよ。若し、何と云っても自分の懐をいためるのがいやだと云うんなら誰の苦情があっても、子供のないうちにさっさと引き取らせて仕舞う。
頭の先から尻尾《しっぽ》の先まで厄介になりながら、いい様に掻き廻すものをどうして置くわけがあるんですい。若し、恭二がかれこれ云う様なら二人一度に出すまでの事さ。
お君だって家にとってさほど有難い嫁さんでもないし、又恭二位の男ならどこにだってころがって居るわね。
私は、嫁入り先をつぶす様な嫁さんは恐しくて置けないよ。
若し始めっから潰す量見で来たんならもう少し潰しでのあるところへお輿《みこし》を据えたらいいだろう。
何も二人に未練はありゃあしない。
ああさっぱりしたもんさ、水の様にね。
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あんまり調子づいて、心にない事まで云って仕舞ったお金は、ホッとした様に溜息を吐いて体をぐんなりさせて片手を畳に突いた。
ガリガリと簪《かんざし》で髷の根を掻いて居る様子はまるで田舎芝居の悪役の様である。
あまり怒って言葉の出ない栄蔵は、膝の上で両手を拳にして、まばらな髭《ひげ》のある顔中を真青にして居る。額には、じっとりと油汗がにじんで居る。
夜着の袖の中からお君の啜泣きの声が、外に荒れる風の音に交って淋しく部屋に満ちた。
昨日、栄蔵の買った紅バラは、お君の枕元の黒い鉢の中で、こごえた様に凋《しぼ》んでしまって居た。
夜になっても栄蔵の怒りが鎮まらなかった。
顔には一雫の紅味もなく、だまり返って腕組みをしたまま考えに沈んで居た。
お君は、額際まで夜着を引きあげた黒い中で、自分が出されて国に戻った時の事を、まざまざと想って居た。
狭い村中の評判になって、
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「お君はんは病気で戻らはったてなあ、
どうおしたのやろ。
病気や云うても何の病気やか知れん、
病気も、さまざまありまっさかいな。
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などと、常から口の悪い、村に一人の女按摩が云うに違いない。
そして、親達には済まない思いなどをするより今いっそ、一思いに川にでも身を投げて仕舞った方が、どれだけいいかしれない。
お君の眼の前に、病院へ行く道の、名を知らない川が流れた。
あの彼側の堤の木の
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