になってしまって居る。
 栄蔵は、汽車を乗[#「乗」に「(ママ)」の注記]りるとすぐから、うっかり傍見も出来ない様な、気ぜわしい、塵っぽい気持になった。
 ぐずぐずして居ると突飛ばされる、早い足なみの人波に押されて広場へ出ると、首をひょいとかたむけて、栄蔵の顔をのぞき込みながら、揉手をして勧める車夫の車に一銭も値切らずに乗った。
 法外な値だとは知りながら、すっかり勝手の違った東京の中央で、大きな迷子になる事も辛かったし、十銭二十銭の事に、けちけちする様に思われたくないと云う身柄にない見えもあった。
 広い通りや、狭い通りを抜けて、走る電車の前を突切る早業に、魂をひやしてお金の家へついたのは、もう日暮れに近かった。
 格子の前で、かすかに震える手から車夫にはらってから、とげとげした声で、
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 御免
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と云った。
 内から首を出したのは、思い通りお金であった。
 栄蔵は一寸まごついた様に、古ぼけた茶の中折れを頭からつまみ下した。
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「おやまあ、これはこれは御珍らしい。
 さあ、どうぞ、お上んなすって。
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と、栄蔵の手から軽い、すべっとしたカバンを受けとって、
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「お前、お待ちかねの方が御出でだよ。
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と奥へ怒鳴った。
 通された茶の間めいた処に座って、お金が、格子に錠をかけ、はきものの始末をつけて来るまで、周囲の様子を見廻した。
 柱でも、鴨居でも、何から何まで、骨細な建て工合で、ガッシリと、黒光りのする家々を見なれた目には、一吹きの大風にも曲って仕舞いそうに思われた。
 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋《ほてい》と、つく薯みたいな山水がかかって居た。
 お金は、すっかり片づけて来て、兄の前にぴったりと平ったく座ると、急にあらたまった口調で、無沙汰《ぶさた》の詫やら、お節の様子などを尋ねた。
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「ほんにねえ、
 私も今度の事じゃあ、どんなに苦労したかしれやしないんですよ。
 何しろ、まだ、ここへ来て幾《ど》いだけもたたない人なんですしするから、手ぬかりが有っちゃあ私の落度だと思ってねえ。
 実の娘より心配するんですよ、ほんとに。
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