性質を異にした本ものである故もあり、おそらくアメリカ映画界としては初めてつくられた真面目な中国についての映画ではあるまいかと感じた。ムニも、ライナーも、力演である。芸において、彼等の人種が中国民に対して過去に抱いていた偏見を突破して、中国の農民たらんと真に努力している。彼等の俳優としてのそういう熱意が快く感じられると共に、中国の現実そのものの力が、今日国際的な関心の性質を次第に真面目な人間的なリアリスティックなものに変えつつあることを痛感したのである。
 ただ残念なことにこの「大地」もアメリカ映画特有の癖で、ハッピイ・エンドになっている。終りは大変甘い。そして、いささか下らない。原作は遙に現実の仮借なさを描いていて、王龍は蓮英を追っぱらおうなどせず阿蘭は依然として紛糾する家庭の中で王龍に先立たれて了うのである。
「大地」の監督に当ったシドニー・フランクリンは、ムニやライナーを東洋人として演じさせるためにこまかい注意を払っているのであるが、私たち東洋の眼で見ていると、折々パッと異国の花が開いたようにライナーがほかならぬアメリカの最も尖端的な表情で立ち現れる瞬間がある。例えば、南から幌馬車
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング