人権が尊重されなければならないという問題は、さっきからときどき繰返されましたが、その面では、判検事とも非常にしきたりの古い考え方で扱われている。子供を卑族と見ています。
この事件に関係した判検事ばかりでなく、一般にまだ日本の人にある基本的人権尊重ということの裏返しのような現われ方を、私どもはこの際に考えて見なければいけないと思います。なぜならば、親子関係の理解の非民主的な点は皆さんよく御注目になっている。私もそれは同感なんです。大体殺すということ、それに対していまのわれわれの神経はどんなになっているかというと、これが基本的人権の一番基礎の問題として疑問を感じるのです。私ども日本人は戦の最中、ずっと死ぬということについて世界で独特の感覚をもっていました。今は死ぬということについては、主体的に自分から死ぬということについては、違った考え方をもつことになったかもしれないが、殺すということについては戦争中の殺すことに平気な傾向を皆もっています。戦争は殺すということについて英雄心をもたせ、優越感を与えてきた。殺人を権力が正当化しました。戦の罪悪は、戦がその戦場でやった非人道的なことのほかに、こうして殺すという恐ろしいことについて無感覚になった人間を非常にたくさん日本の中にもたらした点にあります。これは非常に恐ろしいことだと思う。基本的人権の問題をいう場合も……。
新聞にいうように、十万とか十五万の武装警官を作るということ、あれは日本の軍隊の再編成です。それから新聞で御覧のとおり、非常に今の警官はピストルが上手で殺すことがうまく、昔の警官はサーベルをがちゃがちゃさせて躓いてびっくりしていたが、いまは殺すことが実に上手である。日本の警官はイギリスのストックヤードの警官のように足を掬って自由を失ったところを逮捕すればよく、その人が警官を殺そうとして反抗をしない限り足を撃って自由を失ったものを逮捕する、そういう訓練はうけていない。日本の今日の警官は大部分が戦争経験者です。これらの人々は人を殺すためにピストルをうつことばかり教わって来た人であり、それを実行した人々です。だから新聞に出る事件を見ると命中面のひろい腹背なんかうっては、必要のない殺人をひきおこしています。それはみんな軍隊で教わったものです。そういう人が十万、十五万あればある意味では一種の殺人隊です。治安を守る人よりもある
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