予にしたとあります。身許引受人というものと、その充子さんという人との関係がわかっていないし、夫とその人との関係がわかっていません。ああいう生活過程をもっている女の人の場合には、ひとくちに身許引受人といってもいろいろのことが考えられるわけです。そういう点もプリントではわからない。
そこで判事や検事は、事件を社会問題としての面で強調して、生活苦ということを主張なさったわけです。けれども、どなたかふれられたように本人は生活苦じゃないといっているんです。そうすれば、あの殺した動機というのは、率直に申しますとつまりやけっぱちになった、つらあてという感情が非常に強く支配したんじゃないかと思うんです。つまりお酒を飲んで悪口をいうとか、悪態を吐くとか、ええこん畜生と思ったことを亭主につらあて、社会につらあて、人生に対する反抗心のすべてをああいう行動で表現してしまったんじゃないかということをやっぱり思えるんです。事件そのものとすれば、勿論戦争から惹き起されたことであり、『読売』の方がおっしゃったようにいくらでもある事件でしょうけれども、やっぱりこの事件にはこの人の性格というものが作用しており、それから夫婦関係の、記録なんかでは、とてもわからないいろいろの経緯がからみ、三人の子供が首枷になっているという女の非常に憎悪の気持、子供を憎む気持が非常にあるということ、ある境遇には非常に負担に思って亭主のお蔭でこういう目に遭うと、そういう気持というものを、こういう事件の中では現実に計算してゆかなければ、公平を欠くということになるんじゃないかと思ったわけです。
ここで、もう一つとりあげるべきことはこの裁判にはセンチメンタルなところがあると思われる点です。その点皆さん『朝日』や『毎日新聞』の方たちがおっしゃいましたけれども、被告は、私は生活苦からやったんじゃありませんといっている、それだのに、判事や検事の人が社会問題、生活苦だということを非常におっしゃる。それで寛大にする。それはやっぱり裁判の民主化とは、いろいろな官僚的でなく裁判をしようということで、また被告の人権を重んじようとする、平沢の事件なんかで皆が非常に困った立場になったというようなことから、へんてこりんな基本的人権の尊重のしかたで、この浦和充子の事件でも裁判所は被告の人権を重んずることを社会問題にすることで表現しています。子供自身の
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