此のしなやかなたよたよしい楓がそよりともしないと云うのは――
若し指を触れたら温かい血行を感じ人間の皮膚の通りな弾力を感じるだろうと思う程「なまなましたふくらみ」を持って居る木は、私に植物と云うより寧ろどうしても動物――而かも人間の女の様な気持を起させた。
余り柔かである、美くしすぎる。
余り静かにして居る。
その周囲からまるで離れたものの様にして居る姿を見守って居ると、自分の心までもすべて此の躰のすぐ近くで鳴り響き動き戦いて居る現在の有様からはなれて、雨も降らず雨垂も落ちない、非常に静かな世界に住んで居る様な心持になって来た。
私は此上ない愛情と打ちまかせた心とで木を見て居るうちに、押えられない感激が染々と心の奥から湧いて、彼の葉の末から彼方に一つ離れて居る一つ葉の端にまで、自分の心が拡がり籠って居る様になって来る。
彼の木は静かである。
私の心も静かに落付いて居る。
それだのに外には雨が降って居る。
底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
1981(昭和56)年12月25日初版
1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全
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