治安維持法に対するその恐怖心を、所謂指導者やその理論批判に集中表現させることで、進歩的戦列を崩壊させる手段としたのであった。
 きょうより考えれば、あれほど残虐非道な治安維持法を嫌悪し、恐怖し、抵抗を感じるのは、当然だったと思う。人間なら、ああいう非人間的暴力には精神的にも肉体的にも堪えがたいと感じるのはむしろ自然である。しかし、こんにちの私たちにとって、一つの深刻適切な教訓がこの経験よりくみとられて来る。それは、将来どんなことがあっても人民的な立場のすべての人々は再び一九三三年代の素朴な誤りに陥ってはならないということである。すなわち、権力が悪用しようとするすべての悪法への嫌悪と、それにあくまで抵抗してゆく民主的理論についてゆくことをこわく思う個人の心とを、ごっちゃにして歴史の前進と自身の運命を混乱させてはならないという教訓である。幸、この教訓は、きょうの人々の理性に生きた実感となって来ている。日本の、肉体で労働する人々、民主的作家をこめて精神で労働している人々が、一つとなって内外のファシズムと戦争に反対して立つ気風が顕著になって来ていることが、その証明である。
 さて、こういうように、日本の社会史の上でも画期的な規模と深さとをもってまきおこされた混乱に処して、わたしはおさなく、しかし純粋な憤懣で焼かれるしか心の表現の方法を知らなかった。一九三三年一月の『プロレタリア文学』に発表された「一連の非プロレタリア的作品」という論文と、そののち同誌に発表された自己批判の文章とは、当時の政治的文学的混乱の大渦巻をリアルな背景として見て、はじめてその誤謬をも理解することができる性質のものである。作品批評の表現をとっているけれども、これはわたしの生きて体を流れ貫いている血が信じるに足りない者であることを次々に示してゆく、かつての仲間に対して、人間として妻として抗議しずにいられなかった絶叫であった。だから、批評の対象とされた作家は度はずれな尺度でものを云われ、そのことでプロレタリア文学の理論そのものまでふみやぶられていて後に自己批判を必要とされた次第であった。
 一人の婦人作家がこういう荷にあまる歴史的な苦しさに焼かれて日々をすごしているとき、おちついたこころもちで、小説を書くということは不可能なことであった。おちつかないその心のままで書ける小説は発表され得なかった。「刻々」とい
前へ 次へ
全13ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング