る人がある。私も覚えがある。自分で作る時よりもどれだけ努力し、それだけ力をつくすにはけっして「まねしてはいけない」とすげなく云いきるのは、きのどくな位である。私はそう思う、「同じまねるんなら前のよりもよくまねてほしい」と。だれでも思い、だれでも云うことだけれども私はつくづくそう思う。
どんなに着かざった人を見ても、きれいに御化粧して居る人を見ても「人間だ!」と思うとなぜだか興がさめる。
よくものを買うと景品がついて来る事がある。私は人間の世の中には買物でなくっても景品と云うものはある、と思う。
気まぐれでフッと思い立った時に、急にもの事のしたくなるのは我ままの一つだけれども思いながらうっちゃりぱなしにして置いてしたものよりはたしかに結果がいいし興味もある。そうなると一部分の我ままはかまわないものじゃあないかとも思われる。
何をするでも魚の魚ら□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]になってはならない。
私は本をつんで机の前に坐って、原稿紙のかおを見ると年だとか女だとか云う事から遠ざかってしまう。テーブルに向って箸をとると、年と女だって云う事がはっきりと心に浮ぶ。ど
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