な――」
 私が自分のかおを自分で批評して居るのを傍でおけいちゃんは目で笑って見て居る。
「こんどはお敬ちゃんの番」
 私はこう云って、このお敬ちゃんのかおを自分の思う通りにして見ようと思った。お白粉もそんなにはつけず、一寸の間にお敬ちゃんのかおはまるで違って鏡にうつった。
 二人は一つ鏡に並んで座って、笑い合って見て居た。
「もうあっちにきましょう」
 お敬ちゃんは前歯で帯どめをかみながら先に立った。小声で「己が姿を花と見てエ」ってあの歌をうたって居る。
 私はもう、何とも云われない、おだやかなボーッとなる様な気持で、こまっかいふし廻しの唄をきいて居る。
 私の頭ん中には、もうよっぽど前っから思って居た事が、今日現れたと云う様にこんなにうれしいしずかな一日を暮される事が涙のにじむほどうれしかった。
「こんな好い日を送られるのも私達が若いからだ」
 フッと思って私は自分の肌からにおって来るあまい香りを、いつまでもいつまでもしまっておきたかった。

     〔無題〕

 何となく斯うポーッとする様なお天気なんで、血の気の多い女は身内からうずかれる様な気持になった。
 ムッチリした指の先や白い足袋の爪先を見ながら、ひざの上にひろげてある『桜の園』のまだ買いたての白い紙をチョイチョイ見た。
 さあこの庭をなあ、借金の形にとられてしまうなんて云うのは……
 あら御覧、死んだお母さまが庭を行くよ……
 こんな字が意味もなくなって頭にうつって居る。
「アアアア」うんだ様なけったるい声を出して、男の事を思いがけない時に好いものをひろった時の様な表情をして考え始めた。何にもない宙に二つ目が笑ってうかみ出た。ツウツウ――眉が引ける、鼻が出る、白い、気持好く力のこもったひたいがうかんで口が出来てそれからうす赤い線がこのまばたくまにならんだ小っぽけなものをかこんで、その線の上にあるお米つぶほどのほくろさえそえて――男のかおが出来上った。
 そのうす笑いをしたかおを手の上ににぎって見たり、向うの方にほうりつけて見たり、髪の毛の間にたくし込んでしまったり、ややしばらく、いたずらっ子が猫をおもちゃにする様に自分もうす笑いをしながらたのしんで居た。今まで少したるんで居た心は、急にキューッとしまって頬やこめかみのところにかるいけいれんが起って――いかにも神経質らしく女はその丸っこい手をふってかたをゆすった。
「斯うやってポッカリと浮いた様な様子をして居られなくなっちゃった」
 なげつける様に云って、寝椅子からとび上って湯殿にかけ込んで、水道の下にかおを出してザアザア目をつぶって水をかけた。白いタオルでスーッとふいて四季の花をつけて、西洋白粉をはたいて、桜色の耳たぼとうるみのある眼を見つめた。女らしいやわらかさとかがやかしさを今見つけた様に、
「だから女がすきだって云うんだ!」
と鏡の中の自分に云った。一寸首をかしげてあまったれる様な様子をして笑って見た。白いよくそろった前歯は、まっかな唇の下に白い条を引いた様に光って出た。
 ソーッと頬を両手で押えて見たり、眉をかくして見たり、唇をつまんで見たりして居るうちに、たかぶりかけた感情は益々動いて、重っくるしい様なくすぐったい様な気になって目の中に涙がにじみ出て来た。
「行って来ようや、しようがりゃしない!」
 麻の葉の着物の衿をかき合わせて、羽織のひもを結びなおして髪をすいた。こんな事を出がけにはどんな時でも忘れずにするって云うのも女だからなんかと思いながら、上り口から低い赤と白の緒の並んですがった白木の下駄をつっかけて出た。
 うすっくらいほそい町を歩きながら、女は懐手をして小石をつまさきでけりながら、今にもうたをうたい出しそうな、男の姿が見えたらすぐとびついて抱えそうなはずんだ気持になって居た。
「夜という仮面をつけたりゃあこそ、さもなくば気恥しゅうて此の頬が紅の様に紅うなろう……」
 自分が始めて云い出す事の様にふくみ声で云って目をあげてうす笑をした。
 男の家の丸アルいくもりがらすの電燈が見え始めた。この頃道ぶしんで歩きにくく、わざとする様にまかれた砂石の道を人の居ないのを幸に足の先の方で走ってくぐりをあけるとすぐうたをうたう様な声をあげて、
「居らっしゃる?」
と声をかけてチューリップの模様の襖のかげから出て来る男の姿を描いた。
「お上り、随分思いがけない時……」
 男の声が思いがけなくほんとうに思いがけなく二階から頭の真上におっこって来た。
 妙にくねった形をした石の上に下駄を並べて階子をかけ上った。
 障子はすっかりあけはなされて、前の時にもって来たバラがまだ咲いて居てうす青な光線が一っぱいにさして散らかった紙の上に男の影がよろけてうつって居た。
「いそがしいの? 今日は来る筈じゃなかったけど例の
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