まった。
 死――斯ういう言葉がこの上なくたのしいなつかしいものに思われるまで「生」という事にあきて来た。毎日毎日あの白い牙をもった動物の自分の生を絶ちに来て呉れるのをまって茗荷畑に朝から日の落ちて小屋にしまわれるまで座って居る。けれ共目ばかりが光った動物は影さえも見せなかった。
 今日も男鴨は茗荷畑に座って居る。何にも来ない青く光る□[#「□」に「(一字不明)」の注記]を見あげては自分がまだ生きて居るという事をなさけなく思って居る。ひとりでに命の絶える時が近づいた様に男がもの首はほそくなって居る。

     この頃

 私はこの頃こんな事を思ってます。大した事ではもとよりなく何にも新しい事でもありゃあしませんが、この頃になって私の心に起った事というだけなんです。
 私のまだほんとうの小っぽけな頃はマアどんなに自分が女だという事を情なく思って居た事でしょう。本を一つよめば女だということがうらめしく思われるし、話一つきいたって女というものに生れたのをどんなに情なく思ったでしょう。男でありたい、あの鉄で張りつめた様な強い胸をもった……斯う思って私は髪を切っちまおうとさえ思ったほどですもの。
 男でありたい――斯う思ってマアどれ位私は苦しいいやな思いをしたか――
 私は自分が女に生れたという不平さに訳もなく女というものをいやに思って悪しざまに云って、自分の女というのを忘れたいとして居ました。そういう時は随分長い間つづいて居ました。女がいやだと云ったって年は立ちますもの。私の指の先には段々ふくらみが出来、うでの白さがまして行きました。そして私は今の年になったんです。今の私の年になってから急にまるであべこべに私は自分が女だった事を割合に感謝する様になりました。何故って――私達とおない年頃の男の子を御らんなさい。妙にがさがさな声を出したりいやに光る眼をもって居たり、あれを見ると私はむかつく様になってしまいます。ほんとうに何ていやな見っともない事なんでしょう。それが女はどうでしょう。
 皮膚はうるおいが出て来て、くびがきれいに見える様になりましょう。それで声だってまるであべこべで丸アるいふくらみのある音に響くじゃありませんか。肩の柔かさ、指先の丸み――。女の美くしさはますばっかりですもの。
 あれとこれ――あれとこれ――とくらべて私は自分の女だって事を此頃はよろこんで居るんです
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