をゆすった。
「斯うやってポッカリと浮いた様な様子をして居られなくなっちゃった」
 なげつける様に云って、寝椅子からとび上って湯殿にかけ込んで、水道の下にかおを出してザアザア目をつぶって水をかけた。白いタオルでスーッとふいて四季の花をつけて、西洋白粉をはたいて、桜色の耳たぼとうるみのある眼を見つめた。女らしいやわらかさとかがやかしさを今見つけた様に、
「だから女がすきだって云うんだ!」
と鏡の中の自分に云った。一寸首をかしげてあまったれる様な様子をして笑って見た。白いよくそろった前歯は、まっかな唇の下に白い条を引いた様に光って出た。
 ソーッと頬を両手で押えて見たり、眉をかくして見たり、唇をつまんで見たりして居るうちに、たかぶりかけた感情は益々動いて、重っくるしい様なくすぐったい様な気になって目の中に涙がにじみ出て来た。
「行って来ようや、しようがりゃしない!」
 麻の葉の着物の衿をかき合わせて、羽織のひもを結びなおして髪をすいた。こんな事を出がけにはどんな時でも忘れずにするって云うのも女だからなんかと思いながら、上り口から低い赤と白の緒の並んですがった白木の下駄をつっかけて出た。
 うすっくらいほそい町を歩きながら、女は懐手をして小石をつまさきでけりながら、今にもうたをうたい出しそうな、男の姿が見えたらすぐとびついて抱えそうなはずんだ気持になって居た。
「夜という仮面をつけたりゃあこそ、さもなくば気恥しゅうて此の頬が紅の様に紅うなろう……」
 自分が始めて云い出す事の様にふくみ声で云って目をあげてうす笑をした。
 男の家の丸アルいくもりがらすの電燈が見え始めた。この頃道ぶしんで歩きにくく、わざとする様にまかれた砂石の道を人の居ないのを幸に足の先の方で走ってくぐりをあけるとすぐうたをうたう様な声をあげて、
「居らっしゃる?」
と声をかけてチューリップの模様の襖のかげから出て来る男の姿を描いた。
「お上り、随分思いがけない時……」
 男の声が思いがけなくほんとうに思いがけなく二階から頭の真上におっこって来た。
 妙にくねった形をした石の上に下駄を並べて階子をかけ上った。
 障子はすっかりあけはなされて、前の時にもって来たバラがまだ咲いて居てうす青な光線が一っぱいにさして散らかった紙の上に男の影がよろけてうつって居た。
「いそがしいの? 今日は来る筈じゃなかったけど例の
前へ 次へ
全43ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング