もに、一般に、戦線視察にたいする作家たちの熱心がうすれてきた。どうして、作家たちが初期の期待をうしなってきたのであったろうか。戦争の本質そのものの間に、人間として、作家としての良心に、眼をひたとむけて答えるに耐える現実がないことが感得されてきたからであろうと思う。官製の報道員という風な立場における作家が、窮極においては悲惨な大衆である兵士や、その家族の苛烈な運命とは遊離した存在であり、欺瞞の装飾にすぎないことが漠然とながら迫ってきたからであろう。
 このことは各人各様に、さまざまの具体的な感銘を通して、普遍的であったに違いない。もし、そのモメントの価値を、各作家が日本の大衆の歴史的経験の一部として血肉をもって自覚し、それを表現しようと努め、しかも、それは絶対に許そうとしなかった強権とはっきり対面して立ったならば、今日、日本文芸の眺めはよほど違ったものとなっていたであろう。開かれた扉の際の際まで、人民の意欲として生活的文学的創造の力が密集していて、それは奔流となってほとばしり、苦悩と堅忍と勝利への見とおしを高ならせたであろう。その潮にともに流れてこそ、作家は、新しい文学の真の母胎である大
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