は日々の生活の感情がにじみだしている粘着力のつよさが作品の上に感じられます。
 けれども、五十九人の作者、約七百余首の作品が収録されているというこの『集団行進』の中に婦人の作家はたった二人であること。これは、私達によろこびより寧ろ深刻な警告を与える事実であると思います。『主婦之友』、『婦人倶楽部』などの短歌欄に投稿している婦人の数に比べて、この二人という数は何百分の一に当るでしょうか。『集団行進』の中に辛うじて二人の先達《せんだつ》を送った婦人の大衆はまだまだ「やさしい婦人の歌心」という程度のところに引止められていて、生活のあらゆる重荷にひしがれながらせめてもの息のつきどころ、自分ひとりの金のかからない慰め、現実からの逃げ場所として和歌でもつくって[#「和歌でもつくって」に傍点]いるのであると思います。満州問題がおこって以来、婦人雑誌を読む女のひとの間に和歌と習字との流行が擡頭している事実を考え、またそのことと、今度平生文相が行おうとしている学制改革案で男の学生には「労働証」女の学生には「家政証」を制定することとを思いあわせ、私は自分もひとりの女として胸におさめ切れぬ何ものかを感じるの
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