いことの舞台としてしまうところはないだろうか。
家庭の二十四時間にはその上に、どっさりの台所の用事もついて来る。洗濯盥の権利も主張される。それらは今日の私たちの生活の上で決して手綺麗にすまされ処理されることがらでなくなって来た。若い主婦はいかに明敏であろうとも、八百屋に足を運ぶ度数を減すことは出来なくなっている。
今日の若い世代の、よりよい結婚生活、家庭生活の願いは、一方で、ますます加わって来る困難な条件をはっきり見とおして、それらの困難にめげない人間の成長への確信に裏づけられなければ、やってゆけないだろうと思える。
狭く一つ洞の中で互いを暖め合う男女の一組としての睦しさだけでは、云わば最も生物らしい情愛さえ保てない時代になっている。今日の若い良人と妻とは、歴史が私たちにめぐり合わせているこの地球全体の動乱から自分たちの結婚生活が影響されないと思ってはいない。自分たちの愛で自分たちの善意で結合が完うされるものだという素朴な事情で考えてはいない。自分たちの心からなる希願と愛とにかかわらず、どんな突然の変化が自分たちの生の上におこるか分らない。そういう現代の嵐の中に私たちの生は営まれているのである。
人と人との真心のこもったいたわり、饒舌でない思いやり、骨惜しみない扶け合い、そういうものが新しい結婚や家庭の生活にますますゆたかにされなければならず、そういう潤沢なあふれる心は、つまり今日の波濤の間で私たちの明日が不測であるからこそ、今日を精一杯によりよく生きるための努力を惜しまずよろこび、愛して生きて行こうとする強い意志と、明るく光りに射とおされた理性の調和から湧き出すのであろうと思う。
よりよく生きたいという人間本来の念願を私たちのものとして生活の中に実現してゆくためには、目前の不合理そして又自分たちの非条理で失望し引き下ってしまわないだけの、大きくつよい息が必要である。[#地付き]〔一九四一年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「女性生活」
1941(昭和16)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング