家庭創造の情熱
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)愕《おどろ》くばかりに

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四一年十一月〕
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 すこし物ごとを真面目に考える今日の世代の若い人たちが、自分たちの結婚生活に入ろうとするとき、生涯向上する情熱を喪わない夫婦として生きたいと願わない人はおそらくないだろうと思う。
 この願いは、或る意味では良人になろうとする青年よりも却って妻になろうとする若い女性たちの心に、一層痛切に感じられていることだとも云えるだろう。若い女性たちは、まだそれが自分の現実とはなっていない母たちや姉たちの明暮を、おのずからうける様々の感想をもって眺め、どっさりの「自分はああ暮したくない」という問題をうけとっているのが普通と思える。「私はああ暮したくない」何とそれははっきりとして強い訴えと抗議であろう。より若い世代の誇りとしてその感情は自分にも肯定されているのだけれど、実際として、さて、ではどういう生活をしたいか、という具体的な問題に入って来ると、そこにはまた愕《おどろ》くばかりに沢山の未解決なものがある。自分ひとりだけではどうにもしようのないことが後から後からある。何故なら、結婚生活ではいつでも良人は妻を、妻は良人をとび越してものを考えることも実行することも出来ないから。いつも何かの形での協力の生活でなくてはならないのだから。云ってみれば、お互いがお互いから切りはなして考えたことは、それが健全なよりよい方向であってさえも、結婚生活の現実の中に実を結んでゆく善き花となって咲き出さない場合さえ多いのである。
 しかも、一人の若い男、一人の若い女という単純そうな姿の中に、実に複雑なその人々の成長して来た国の社会の色や響、その社会の中のどういうところにその家庭は属していたかというところから身につけられている種々の精神と肉体との特徴、更にその青年や女性が自分たちの時代として経て来た歴史の性格などがそれとこれとをきりはなして篩《ふるい》にはかけられないような溶け合いかたで刻々に躍動している。
 良人となる青年がそれだけ念の入った複合体であると同様に妻となる女性も、彼女の或は無心な情緒の奥にそれだけの因子《ファクター》をちゃんとしまっているわけである。
 人間の性格や気質にいろい
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