たような頬の色を、どうして見のがすことが出来よう。
「お恵さん、あなたは駄目ですよ、そうやって独りで思い出しちゃあ泣いていらっしゃるんだもの。さあさあ、もうそんな縫物はおやめおやめ、そんなものを持出すから尚気が滅入っておしまいなさるんじゃあありませんか」
 お幾は、言葉で云い表せない親切をこめた荒々しさで、お恵さんの手から、派手な色の美しい小布を奪いとった。
「何か気を紛らすようにおしなさいましよほんとにあなたは……」
 お幾はあわてて洟《はな》をかんだ。
 彼女の姉らしい叱責にすなおな微笑で答えながら顔を擡げたお恵さんの眼には、悲哀と信頼とが混り合って輝いて見えた。彼女は、やがていつもより一層しんみりとした口調で、ぽつぽつと話し出した。
「この頃はね、外は寒いし、家にいても気分が捗々《はかばか》しくないので、ついこうやって炬燵にずくんだままで随分いろいろなことを考えて見ました。今までは何や彼やごたごたして一度も考える気で考える時がなかったようなものですものね」
 お幾は何と云ってよいのか分らずに蒼白い小さいお恵さんの面を眺めた。
「考えて見ると、好い加減な暮し方をして来たのだと思いますよ。ほんとに自分で気のつかないほど好い加減なのですね。何でも彼でも上面だけ考えていたのですもの。――いつかあなたがおっしゃいましたね、あの広田が亡くなったのは只事でないって……」
「あれは、お恵さん私……」
「いいえ大丈夫。決してそういう積りじゃあありませんの、ほんとにね広田のなくなったのも、誠之が死んだのも、この頃では何か訳のあることなのだと気が附き始めたのです。あの時こそ、意地であなたにたてついたけれどもね」
 お恵さんは寂しい笑顔でお幾を見、眼をふせてじっと両手で捧げるように持った茶碗の中を眺めた。
「あなたも御存知の通り、広田は正しい人でした。誠之だって、私の眼から見れば人並よりは何か違ったよいものを持って生れていたと思われます、それは勿論親の贔屓目《ひいきめ》かも知れませんわ。けれどもたとい贔屓目にしろ、自分が時には頭を下げるような児を、思いがけないことで取られて見ると――何か大変な手落ちをしたような相済まない心持が致します。あなたはお仕合せで、お子さんをお一人もおなくしになったことがないからお分りにならないでしょうね、けれども子供に死なれるのは――本当に辛いことです。自分が死ぬよりも幾層倍苦しいか分らないと思いますわ」
 微笑もうとしたお恵さんの唇は空しく震えたまま、眼から涙がこぼれ落ちた。
 悲痛な言葉を聞き、お幾は殆ど身動きもならないような何物かに心を圧倒された。何か云ったら、飛んでもないことを云いそうで――お幾は今自分がものを云ったら、云うほどのことが、皆空虚なお坐なりに聞えそうな不安な気がした。「………」丸いお幾の顔には、当惑に近い苦しげな表情が表れた。
「それでね、考えれば考えるほど、いても立ってもいられない心持がして来るのです。きっと、自分が親として、また妻としてあまり至らないので、神様が惜しんであの子をお取上げになってしまったのではあるまいかとさえ思います。ほんとに広田や私の善いところだけを選んで生れついたような子でしたもの――」
「まさかそんなことがあって堪るものですかお恵さん、あなたがあまり思い過しておしまいになるのですよ、けれども――」
 お幾は急に心を横切った或る内密な喜びで、我知らず顔中を輝かせた。
「若しあなたがそうお思いなさるのなら、心のすむようになさるのは好いことですわね」
「そうでしょう? ですからあなたもおっしゃるように、今度をいいきっかけにして私、天理教のお話でも伺って見ようかしらと思い立ちましたの。若し私が不束《ふつつか》な故で、淑子まで、可愛そうに、不仕合わせになったらそれこそ生きてはいられません。誠之のためにも何かの供養になるでしょう」お恵さんの頬にいつも絶えない、弱々しく淋しい微笑がまたそっと忍び込んだ。
「そして、皆にお詫を致しますの」
「まあお恵さん……」
 ふと会った視線を避け、お幾は思わず伏目になった。かねてから思いもし願いもしたことが、現在の事実となって目前に現れて見ると、彼女は些《すこし》も予想したような、晴々とした大悦びは感じ得なかった。
 却って、何か今迄の自分の経験の中にはないものを、お恵さんは確かりと我ものにして、小さいながら、弱々しく見えながら厳かな重みを持て据ったような心持がする。お幾は、先刻《さっき》までは十分に重かった自分が、俄にふうっと他愛もなく軽いものになったような心持がした。
 けれども、もう二十年も以前にその青春時代の教育をうけた彼女には、自分の胸に湧き起ったそれ等の気分がどこから来たのか細かに考えるだけの力は持たなかった。
 富裕な、地上的にあらゆる幸
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