たが、飯田の奥さんの顔色がただでなく石川に見えた。
「――いよいよ十八日立前になりますが――いい天気にしたいもんです。……奥さんもどうかおいで下さい、やっぱりああいうときは、御本人がいて下さると下さらないでは張合が違いますからね」
「――実はそのことで急に上った訳なんですがね――十八日に間違いなく立前出来ましょうか」
石川は、どういう意味か分らず、濃やかに蒼白い奥さんの横顔に眼を注いだ。
「こっちの仕度はゆっくりですが……何か御都合の悪いことでも起りましたか」
「本当にこんなことになろうとは夢にも思っていなかったのにねえ」
奥さんは、黒い竪絞《たてしぼ》の単衣羽織の肩も俄にこけたような顔付をして、
「肝心の幸雄の工合がわるくなりましてね」
と云った。
「道理でこの頃お見えなさいませんでした。どうしなさいました?」
「どうした故か頭の工合が悪いらしいんです。……恥をお話ししなければ分らないけれど、急に暴れ出しましてね、刃物三昧しかねない有様なんですから、……本当に……」
石川は、幸雄の寧ろ女らしいくらいの挙動を知っているので却って信じ難いようであった。
「前からそんな癖がおありだったんですか?」
「いいえ、それどころか、内気な代り私みたいな者の子と思えないほど学校だって出来ていたんですよ」
さし組んで来る涙を銀鼠の絞縮緬の袖で押えながら、奥さんは、
「大学を来年出るという間際にこんなことになるんですからねえ」
と淋しく頬笑んだ。石川は、挨拶のしようなく感じた。奥さんが極く若いときの子と見え、幸雄がぞろりとした和服でなどいると、母子には見えないようであった。それ故母親が猶気の毒らしかった。医者がとても家には危くて置けないから病院へ入れろと云うが、普通に云って聞くことでないから、立前を口実にこちらへ寄来す手筈をしてこちらから無理やりにでも病院へ連れ込むというのであった。
「飛んだことになって、まことに御迷惑でしょうが、職人衆には何とでもしますから、どうぞよろしくお願い申します。――そりゃ勘が早いんですから、くれぐれも知らん顔でね――ただどうぞ刃物だけは届かないとこへ始末させといて下さい。万一とんでもないことを仕|出来《でか》したりすると申訳ありませんからね……」
十八日は、空の色が目にしみる快晴であった。五月で、躑躅《つつじ》が咲いていた。濃い紅の花が真新しい色
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