どあった。母親もそうだが、この大学生にもどこか内気に人懐こいようなところがあった。草を拉《ひし》いで積み重ねた材木に腰かけ、職人達に蕎麥《そば》を振舞い、自分も食べた。
「まずい蕎麥だなあ」
「そりゃ市内からいらしっちゃ蕎麥や鮨は駄目です」
「こんなのっきゃないのかい」
「何にしろ一軒ぎりですからね」
「ふうむ――いい店出したって立ち行かないんだろうね」
「顧客の数がきまってますからね――若旦那、御卒業なすったらこちらからお勤めですか」
 幸雄は、植える松の根を、職人が多勢かかって締めているのを見ながら、
「勤めなんかいやだねえ」
と答えた。
「何です? 法律ですか御専門は」
「経済だよ」
「――実業家ですね」
「…………」
 幸雄は、母親のことを石川に話すに、決してお母さんとか、それくらいの年頃の若者らしくおふくろなどと云わなかった。新橋、新橋と云った。
「新橋も今年の夏はこっちで暮らしたいらしいよ、間に合うだろうかね」
 現在新橋に住んでいるのでそう呼ぶのかと石川は思った。すると或るとき、原宿の手塚が、
「あの人も、元は新橋で鳴らしたものさ――太郎って云ってね」
と云った。幸雄は或る身分の高い人との間に生れた一人息子で、相手の死後あり余る手当で生活しているのであった。
「この家だって、幸雄がいずれ一家を構える場合を考えて建てる気になった訳さ。小さいとき引き離されていたりしたから幸雄の方じゃ大した気持もあるまいが、生んだものにして見れば親一人子一人の境涯だからね」
 なるほどそういう心持であったかと、石川は二間続の離室に好意を感じながら図面を見なおした。
 三日経つと立前《たてまえ》という晩であった。
 夕飯をしまって一服していると、
「今晩は」
と若い女の声がした。
「どなた」
 女房が、流しの前から応えた。
「石川さんはいらっしゃいましょうか」
「ええおりますが――どちらさんです」
 手を拭き拭き出て見ると、それは女中を連れた飯田の奥さんであった。
「おやまあ失礼いたしました、さあどうぞ」
 その声に石川も顔を出した。
「や、大変おそくお出かけでしたな、どちらからかお帰りですか」
 飯田の奥さんは大儀そうな風で、黒いレースの肩掛けを脱した。
「この間じゅうはだんだんどうもお世話様でした。私もちょくちょく来たいとは思っても何しろ遠いもんですからね」
 茶など勧め
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