石川!」
 石川は、後から幸雄の肩を確《しっか》り押え、
「若旦那! 若旦那! 気を落付けなくちゃいけません」
と云った。
「静かにしなすったって分る話だ。――若旦那!」
 熟練し切った様子で荷でもくくるように詰襟の男が幸雄の踝《くるぶし》の上から両脚をぎりぎり白木綿で巻きつけ始めた。足許が棒のようになったので足掻きがつかずもろに倒れそうになっては、立ちなおって荒れる。容赦なく腹を締めつけ、遂に両腕も緊《きつ》く白木綿の下に巻き込まれてしまった。幸雄は、今はハッ、ハッと息を吐きながら、鳥肌立って蒼い頬の上にぽろぽろ涙を流し始めた。男共は葬列でも送るように鎮まりかえった。愈々《いよいよ》担ぎ上げられて、数歩進んだ。突然子供がしゃくり上げて泣くような高い歔欷《すすりなき》の声が四辺の静寂を破った。
「石川! イシカワ!」
 いい加減心を乱されていた石川はあたふた病人の頭の方に駈けよった。
「助けとくれ、ドーカ[#「ドーカ」に傍点]助けとくれ! 石川」
 仰向いたまま食いつくように石川を見る病人の真実溢れた両眼から限りなく涙が流れ落ちた。

 新しい家に移って来て、奥さんは三年の間一人で暮した。女中と爺やがいるだけであった。
「――散歩の出来るような庭にしないじゃなるまいねえ。この間もお医者さんが、なるたけ家でも病院にいるときのように規則立てて暮させなけりゃいけないっていってでしたよ」
 始めの目論見と違って、平庭のまま芝生が出来たり、南を向いてフレームが出来たりした。静かに絶間なく幸雄を待っている母親の心が石川に伝わるようであった。

 病人は足掛四年目になって戻って来た。

 住宅地には生垣が多い。山茶花を垣にしたところもある。栗の葉が濃く色づいて広い初冬の青空の下に益々乾いて行く。低いところで白や紅の山茶花が咲き散る。落葉焚の煙が見とおしの利く桜並木の通りにも上った。緩やかな勾配を石川は住宅地の奥の方へ歩いていた。土蔵を請負った仕事場に行くところなのであったが、ずっと後の方で、
「おーい」
と呼ぶ女の声がした。落葉を鳴らして行くとまた、
「おーい」
と聞える。歩いているのは石川ぎりであった。右手は手入れよく刈込まれた要の生垣で、縁側の真赤な小布団に日が当っているのが見える。怪訝《けげん》に思いつつ振返って見ると、派手な帯のところだけ遠目に立たせ若い女が小走りにこちら
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