しい。其の機械として対手を見、その快楽から、人格的価値抜きに対手を抱擁する事は愧ずべき事だ。
 人が、陥り易い多くの盲目と、忘我とを地獄の門として居る為に、性慾が如何に恐るべき謹むべきものであるかと云うことは、昔の賢者の云った通りである。
 然し、本然が暗と罪と堕落なのであろうか。此処に来ると、自分は長与氏、又は、トルストイの考えとは同一仕かねる。
 性慾は、本来に於て、厳粛な責任と、反省と、義務とを負担し伴ったものであると思う。故に、その純粋な場合には必ず其等の一面も影となって人の意識にのぼって来る。
 此点から云うと、性慾生活に於て、或は生理的な条件から其等責任感を、本能的に直感して居る女性の方が、多くの場合、性慾の純粋さを保ち得るのである。
 男性よりも、女性の方が、愛を持たずに性的交渉を持つに堪えない感情を持って居る。
 男性の方が、情慾にのみ左右され得る。然しもう一つ異った場合、仮令えば、夫婦関係に於て、愛から女性は放縦な性慾の対手と成るに甘じる場合がある。
 多くの女性は、斯う云う時、愛から獣に成り下った事を知らない。が、或程まで心のある男は、斯う云う場合に在っても、自分の
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