なものだのにねえ」
やがて、ふさ子は、重苦しい四辺《あたり》の雰囲気の裡で、投げ捨てるように呟いた。
「この間、お順さんが来たときにも、そう云っていましたよ。相当な人さえ仲に立てれば、たとい法律ではどう定《きま》ろうと、阿母さんの暮し位のことは、六蔵さんがどうにでもする積りなんだって」
前後の続きから、おくめには、その言葉がどうしても、家の血統とか相続権とか、喧しいことは云わないで、貰えるものは貰って、のぶ子の学資でも助けたらよいではないか、という風にほかとれなかった。
訴訟を起したり、弁護士を雇ったりして、柄にない騒ぎをしたことからが、馬鹿馬鹿しいという口吻《くちぶり》を聞くと、おくめは、口惜しさで、かっとするようになった。
奥へは洩れないように、気を緊めて声を低め、彼女は、
「馬鹿なこと! 誰がそんなことを出来るものか」
と、鋭く娘の言葉を撥《は》ね返した。
「私は筋の立たない金なんぞは、たとい半文も受けたくないと思うからこそ、他人から見れば、しずともいい苦労をして来たのではないか。始め、六蔵を裁判に立たせたのだって、決して、取られた、金を取り返そうためばかりではない、私の云い分と、あっちの遣り口と、公の眼で見ていただいて、どっちが正しいか、それをはっきりさせたいばかりでしたことじゃあないか。ああやって、毎日顔と顔とを見合わせている裏で、あんな企らみがあったかと思えば――おばあさんも憎いが、判るところを判らせない検事にも、私は愛素をつかしてしまった」
熱して話し、姉妹を見較べたおくめの瞼には、強い火照《ほて》りと一緒に涙が滲《にじ》み上って来た。
「それというのも、皆、お前達のお父さんが、ああだったからのことさ」
おくめの声には、何ともいえず、寂しい曇がかかって来た。
「お前方のお父《とっ》さんさえ、確かり家を守っていてくれさえしたら、あれもこれも、皆、無くってすんだことなのさ。お前達は、親のおかげで苦労するとお思いだろうが……阿母《おっか》さんだって、……若い時から決して楽をして来たのじゃあないよ」
ふさ子はうつむいて火鉢の灰をならし、のぶ子は、微《かすか》に涙組み、明るい茶の間の中では、誰一人口を利くものがなくなった。
おくめは、野州の有名な織屋の後取娘に生れた。彼女は十八の時、ふさ子の良人の父方の親類から、養子を貰った。二人の間は、さほど折
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