も私の心に湧いた疑問は、藤村がしんから力を入れて、ねばっている動力は何なのであろうか。本質的には世故にたけた、十分妥協性をもったものなのだが、それを語る語りかたの独特に意識ある態度のために風格が発生し、その確信をもって押してゆく雰囲気の魅惑に大作家らしい趣、生活力が具わっているのではないのだろうかと考えたのであった。そして、いつかの折に藤村という一つの大きい明治文学の屋台をふわけして、生々しい機構を知りたいという慾望を刺戟されたのであった。
 アルゼンチンの国際ペンクラブの大会に藤村氏が出席したからには、能うかぎり進歩的効果のあげられることを、私たちはまじり気ない心持で希望している。柿本人麿の和歌を記念碑に刻んで来ることも一つの趣であろう。けれども、藤村氏は、どういう好尚から、その出発の前夜に勘当していた蓊助を旅館によんで、勘気をゆるしたのであったろう。藤村氏自身の青年時代を考えいろいろすると、勘当そのものが解せないようにもある。微妙な事情があって、そういう形式がとられたとして、何故、外国旅行に出るという前の外見は華やかであって、実は平凡な夜、その勘当は許され得るのであろう。「夜明け前」が完結した時に、老境に在る芸術家にとって真に感想深かるべき時に於てではなく。――何か、云うに云われぬ作家藤村の人間的面、裂け目がここにあることを感じた。私は「父上様」という文章の中に、偶然藤村氏の息子として生れ事毎に父との連関で観られなければならない一青年蓊助の語りつくされない錯綜した激しい感情をよみとった。ここには、父の肖像を描いて二科に出品した鶏二さんの心持とは恐らく異っているだろうと思われるものが脈うっている。蓊助君は、漫画修行による人生観察の過程で、旧套の重荷に反撥して自らを破ることが、新世代にのしかかる圧力を克服することではないことを、既に学んでいるであろう。昨今の世界情勢の中を行く旅行について父藤村氏の「自由主義的慧眼」に希望している希望には、正しく息子蓊助一人のみならず、「夜明け前」を発展的に読む能力を具えた若き全員の希望が参加しているのである。[#地付き]〔一九三六年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「読売新聞」
   1936(昭和9)年10月11、14、15日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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